2011年07月17日

桜井圭介氏の質問へのご返事

(以下のエントリーは、いつもと違ってぽわん&たぬきの連名でお届けします!)

先のブログの文章を受けて、桜井圭介さんからツイッターで「実証的ではなく、印象で人を批判するときに、匿名はダサいと思うのです。批判も、『ためにする』批判のように見えて、あまり建設的なものとは思われません。残念です。」と話しかけられました。

こちらは幾つもの媒体で公的に署名原稿を書いている方の思想および思想背景についてブログで書いただけであり、ご本人へツイッターで話しかけるなどといったことはしておりませんが、桜井さんのほうからコメントがあったわけです。もちろんお声をかけていただいて嬉しいですとも! 

というわけでこちらもツイートにて「印象的?具体例も出してます。そちらのツイートこそこちらについて、非実証的・ダサい・残念、といった「印象」を広めようとの意志を感じます。ダサいという批判もまさに印象批判(ダサくて結構ですが)。尚、匿名ではなく筆名で書いてます」 「念のため補足申し上げます。「ためにする批判」という言い回しは、字義通り取ると「言外の意図(何らかの下心)があって行う批判」の意味ですが、我々は単につまらない演劇及びそれらを褒めるばかりの人間を、具体的に検証してみただけです」とお答えしたところ、次に以下のような質問ツイートだけが連投されてきました。


語尾が「印象」「感じ」。で根拠が明示されていません。→「ある種の一派をなす人達が、わいわいと神輿をかつぐみたいに持ち上げていている印象があるんだよね」「宮沢章夫〜いとうせいこう〜桜井〜佐々木あたりは、言わばサブカル版岩波文化人として緩く連帯してる感じ
語尾が「感じがする」。で根拠が明示されていません。→「桜井圭介も同じで、ダンスや演劇の一部だけを愛して、あとは興味なしっていう感じがするんだ」「あの手の人達って、演劇なりダンスなりが目的じゃなくて手段になってるって感じがするよね」
語尾が「気がする」。で、その根拠が明示されていません。→「佐々木をはじめとするオピニオンリーダーが褒める一部のものしか観ない観客が増えている気がする。」
「ついでに2点ほど質問です。「クラブカルチャー的なところがきっかけな訳だ」←クラブカルチャー的なところの意味するところは?「ダンスをこれまでと違うコンテクストで語ってきた桜井もさることながら」←「さることながら」は当該の文の後半のどこにつながりますか?

とのご質問。

まあはっきり言って、論文ならさておき、会話体による進行を旨とするブログで、「気がする」「印象だ」と書いた箇所をあげつらって文章全てが「印象的」で「残念」だと断じるのは、アンフェアというか、そもそも文体に対する感受性を疑いますが、折角の機会でもあり、以下に指摘された部分、つまり我々が「印象」とか「気がする」とか「感じ」とかを用いた箇所について見ていきましょう。連休中ですが、捨て置いては失礼にあたるでしょうから、気づいたあと、なるべく早くご返事を書きましたよ!

 ちなみにツイッターをご存知の方はおわかりでしょうが、この質問はすべて「@〜」ではなく「.@〜」でなされています。つまり少なくとも1760人以上の桜井氏ご自身のフォロワーに公開しているわけです。しかもこちらの返信のほうはリツイート(公表)せずに。
 そもそもツイッター自体、承認制ではないこともあり、公的なものだと考えるので、ブログでのご返事もルール違反ではないでしょう。こちらはツイッターヘビーユーザーではなく影響力もない一般猫なので、フォロワー数では不公平が生じるし、発端はこちらのブログなんだし。

(1-1) 「ある種の一派をなす人達が、わいわいと神輿をかつぐみたいに持ち上げていている印象があるんだよね」への質問
 これに関しては続きがその具体例になっています。引用すると、「『わが星』とか快快のDVDを出してるのは、彼が主宰してるHEADZレーベル」「佐々木がHEADZで出している雑誌『エクス・ポ』が、ゼロ年代演劇礼賛の発信源」とか。え?オレは『エクス・ポ』には書いてない?その後で「『吾妻橋ダンスクロッシング』の企画として佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談も行われている」と書いてます。岡田利規が『エクス・ポ』に連載してたのは無論ご存じですよね?

(1-2)「宮沢章夫〜いとうせいこう〜桜井〜佐々木あたりは、言わばサブカル版岩波文化人として緩く連帯してる感じ」への質問
「岩波文化人」というのは当然「リベラルを謳いつつ実は教条的な文化人」の謂いです。「グルーヴ」だの「コドモ身体」だの「テン年代=天然だい!」(これは佐々木敦ですが)だのといったタームによる囲い込みが、教条的に(=枠に入らないものの排除として)機能しないとでもお思いでしょうか?
 ついでに、彼等の「緩い連帯」が本当に行われているかどうか、twitter上の関係を可視化するサイトで実証してみましょう。まずは、桜井圭介@sakuraikeisukeと宮沢章夫@aki_u_enchといとうせいこう@seikoitoの関係(佐々木敦@sasakiatsushi を省いたのは、彼がフォロワー0のため結果に反映できないから)。結果はこう。
http://twiangulate.com/search/sakuraikeisuke-aki_u_ench-seikoito/common_friends/table/my_friends-1/
比較対照の例として、勝手ながら@seikoitoと文学座@bungakuzaを入れ替えてみましょう。
http://twiangulate.com/search/aki_u_ench-sakuraikeisuke-bungakuza/common_friends/table/my_friends-1/
宮沢章夫は文学座に書き下ろしたことさえあるのに、誰かさんとの関係より文学座との関係は薄いと考えられますね…
おまけで我々@powantanukiも。
http://twiangulate.com/search/aki_u_ench-sakuraikeisuke-powantanuki/common_friends/table/my_friends-1/
まあ、本来こんなことわざわざ検証するまでもないことですが、ご質問なので念のため(笑)。

(2-1)「桜井圭介も同じで、ダンスや演劇の一部だけを愛して、あとは興味なしっていう感じがするんだ」への質問  
ええと、@sakuraikeisuke のTLを1ヶ月ほど辿ってみました。答えは、バストリオ『絶対わからない』、『20年安泰。』、ニブロール『THIS IS WEATHER NEWS』、サンプル『ゲヘナにて』。新劇もミュージカルもクラシック・バレエも、ついでに歌舞伎も能もありませんね? 本当は見ているけど/愛しているけど/興味があるけど、書いてないんですか?? そこは確かめようがないので、違うと「推測する」のが妥当。と考えると「っていう感じがする」は至極真っ当な表現じゃないですか?(笑) 違うなら、それらの感想or批評をツイートしなかった理由とともに申告してくだされば「違うそうです」って追記しますよ。

(2-2)「あの手の人達って、演劇なりダンスなりが目的じゃなくて手段になってるって感じがするよね」への質問
 佐々木敦についてはこの件にたっぷりと言及してますが、桜井氏本人については確かに言及してないですね。でも、木村覚との対談には、以下のようなとってもエゴイスティックな発言があります。
「(木村の『「コドモ身体」論では、どうもイズム=主義が主で、ダンスは従という気がするんですが』を受けて)ダンスが従というのはそうかもしれないけど、イズムが先にありではなく、私・桜井が先にある、という感じかな(笑)」はい、「目的じゃなくて手段になってる」認定。

ああ、そういえば、この「根拠を出せ」のやり取りってどこか既視感があるなあと思ったけど、2008年の木村覚と乗越たかおのやりとりだ! 出典と論拠は一部重なるけど同じじゃないし、もちろん偶然でしょうけどね。

http://d.hatena.ne.jp/nori54/20081212
http://d.hatena.ne.jp/nori54/20081220


なんかだんだん飽きてきたけど、続けますかね。

(3)「佐々木をはじめとするオピニオンリーダーが褒める一部のものしか観ない観客が増えている気がする。」への質問
これ、それまでに書いた「ペダントリーをちらつかせて一種の権威になることによって、興行側も観客もまるごと自分の影響下に収める」の結果ですよ。念のため言っとくと、サブカル系が文学座とは切れてるのはさっきのグラフでも立証済み。

ふう、あともう少し。

(4-1)「クラブカルチャー的なところがきっかけな訳だ」←クラブカルチャー的なところの意味するところは? という質問
チェルフィッチュが西麻布SuperDeluxeでやったり、ままごともラフォーレミュージアム原宿でやったりしてたけど、要するに「ライブハウスでも公演を打つ集団」もちょっと広げれば「舞台における音楽の比重が大きい集団」といった程の意味です。ちなみにチェルフィッチュも快快もままごとも、小劇場王道の地・下北沢で公演を打ったことがありません(マームとジプシーはあるみたいだけどね)。

(4-2)「ダンスをこれまでと違うコンテクストで語ってきた桜井もさることながら」←「さることながら」は当該の文の後半のどこにつながりますか? という質問
「さることながら」というのは当然「…は言うまでもなく」という意味で、「演劇をターゲットにする」にかかり、「いつかは演劇方面にアプローチしただろうけど」という意味です。何か変ですか? それとも「佐々木に話が流れちゃってるけど、自分についてもっと書いてほしかった」ってことでしょうか?

それよりもこちらからの抗議、

(5)「ためにする批判」という言い回しは、字義通り取ると「言外の意図(何らかの下心)があって行う批判」の意味ですが、我々は単につまらない演劇及びそれらを褒めるばかりの人間を、具体的に検証してみただけです
に対する返答・反応はないのですか? そもそも我々はあなた方と何の利害関係もないのだから、「ためにする批判」をやろうと思ってもしてさしあげられないんですよ。まさかとは思いますが、「批判のための批判」というつもりで「ためにする批判」と言った訳じゃないですよね(笑)? ご返事はツイッターでもかまわないし、ご自身のブログとかでもかまいません。


ぽわん&たぬき
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2011年02月01日

NHK舞台中継終了の真相(夕刊フジ風!?)

たぬき:巷間を騒がすNHKの現代劇中継撤退問題だけど、今日はわたしことたぬきが、その情報網を駆使して関係者から得た情報を披露してみるね。
ぽわん:むむ、たぬきさんにはそんな情報網があったのか!
たぬき:細い細い糸を辿ってみたよ(笑)。でね、まず今回の問題の背景には、「NHKの採用には、クラシックの枠はあるけど演劇の枠はない」という根本的な事情があるらしい。楽譜は専門の訓練を受けないと読めないけど、演劇の台本なら誰でも読めるでしょ、という理屈なのかどうか知らないけど。NHKでは音楽と演劇は同じ部署が担当するみたいなんだけど、藝大OBを中心とするクラシック枠で入社した人たちは、演劇にさほど興味がないみたい。今回の改変でも、室内楽中心のBS「クラシック倶楽部」は生き残って「特選オーケストラ・ライブ」というオーケストラ用の枠も確保したでしょ? BS「プレミアムシアター」もクラシック中心になりそうだし。要するに、こうなってしまった背景には、厳しい枠の取り合いである番組編成の場に、体を張って死守するような演劇のスペシャリストが育たなかったということが原因にあるんだって。
ぽわん:でも今までは、演劇番組があんなにあったのに、どうしてこのタイミング?
たぬき:まあ単純に、お金と手間がかかる割に、視聴率も取れないし反響もないということもあったみたい。これは正直、時には首をかしげるような演目選定をやってた局側の責任もあるし、受信料支払い拒否だの地デジ化費用だので汲々という事情もあるし、演劇愛好家の絶対数なんてたかが知れてるという現実もあるし、BSが1波減るという物理的な事情でもあるみたいね。ちなみに、BSが始まった当初は時間がとにかく余っていて、収録スタジオいらずで最低2時間は埋められる舞台中継はすごく重宝したらしいよ(笑)。
ぽわん:それと同じ理屈っていうか、もっとマニアックな時間帯を埋める感じでいいから、続行してほしい。
たぬき:本当にそうだね。ぽわんさんもそうだろうけど、見られなかった伝説の舞台がNHKの収録のおかげで目に触れることができた、みたいな経験は山ほどあるでしょ? 正直、二度と再現することの出来ない、見る側にとっても演じる側にとっても貴重な名舞台を映像資料として未来に残すという使命はどうするんだろうとは思うね。歌舞伎チャンネルも廃止になるらしいし、シアターテレビジョンも今や再放送だけでしょ? このままだと、例えば誰かの追悼番組で、2011年以降の映像資料がパッタリ減ってしまう、ということにもなりかねないよ。そういうのって、公共放送の義務なんじゃないかねえ。
ぽわん:でもまだ、視聴者の意見で覆る可能性もあるのかな?
たぬき:うーん、とにかくみんなで声を上げていくしかないよね。NHKとしては「今頃言っても遅いよ」っていう感じかもしれないけど。ただ、さすがにこれだけ大胆な廃止には気が引けてるところはあるんじゃないかな。わたしことたぬきも、情報提供者にお願いしといたよ(笑)。
ぽわん:メールとかファックスとかで声を上げることができるみたい。ここから→かな? みんな、ファイト! http://bit.ly/askNHK
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2011年01月19日

戌井市郎の劇団葬をきっかけに新派復活のウルトラCを思いつく

ぽわん:今日はたぬきさんが一人で言いたいことがあるんだって。
というわけで、以下はたぬきさんの原稿です。では、どうぞ!

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 戌井市郎の劇団葬、商業演劇界を代表して弔辞を読んだのは水谷八重子だった。故人との付き合いの長さが主たる選考基準であり、ということは必然的に年配者が引き受けるのが自然であろう弔辞読みとしてはやや貫禄に欠ける彼女だが、現在の新派に他に適当な人材が居ないのも事実。
 いかにも今の新派のテイタラクを象徴…と言いたいところだが、わたしことたぬきが物心ついた頃、既に新派は低迷の極みとされていた。にも関わらず現在まで新派は存続している訳で、それには水谷良重が親の名前であった二代目八重子を継ぐという、例の襲名ビジネスが大きかったのではと思う。
 これをヒントにたぬきが提案したいのは、歌舞伎のメインストリームからは遠ざけられ、そのせいもあってかここのとこ新派への客演が目立つ、澤瀉屋軍団の更なる積極的関与である。具体的には、今から20年後ぐらいに、例えば市川春猿が“新派に客演するときのみ”三代目八重子を襲名するのだ。となれば市川猿弥は当然二代目安井昌二、市川笑三郎は三代目英太郎であろう。似合いそうだ!
 これが成功すれば、市川段治郎が大化けしちゃったので喜多村緑郎の大名跡を復活!みたいなことも可能かもしれない。となれば当然、襲名前には喜多村と、彼の遠縁にあたる戌井市郎の墓参りという一大イベントが待っている訳ですよ。

 え?荒唐無稽だって?ほら、尾上松緑だって舞踊のときは藤間勘右衛門を名乗るじゃないですか。あれを拡大解釈するんですよ!!! (文責:たぬき)
posted by powantanuki at 11:57 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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