2013年05月22日

続続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容

ぽわん:2013年5月18日付けの小谷野氏のブログタイトルが、匿名者に告ぐ。となっているけど、内容から察するにどうやら我々のことだねえ。
たぬき:我々は「ぽわん&たぬき」なる記名のもとに存在する猫であって、アノニマスな存在ではないのだけれど、その辺の違いは小谷野氏には分かってもらえないでしょうからひとまずおいといて…
ぽわん:こっちはボランティアで著書の誤りを指摘しているのに、本人は誹謗中傷としか受け止めず、「匿名は卑怯」と吠えているのが不思議だよ。著者なんだから、こちらが勘違いしているようなところがもしあるなら反論するにしても、正しい指摘は甘んじて受ければいいのに。その本質から目を背けて「犯人探し」に奔走しているのは見苦しいね。
たぬき:小谷野氏の反論がまた、汚いやり口なんだよね。そこでまず、このブログに目を通してくださっている方々に、ここから先を読み進めるにあたり事前に知っててもらいたいことがあるんです。それは小谷野氏が、反論するにあたって、こちらの意見を不完全に引用し、結果的にねじ曲げていることです。

 まず、我々は、小谷野氏の反論への回答である、続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容において、「義経千本桜」で源頼朝(登場人物として舞台に上がることはなく、間接的に言及されるのみなのですが)と源義経が、終幕において和解する可能性があるのかどうか憶測をめぐらせるという一種のシミュレーションを行ったんだけど、その結果、「五段目で河越太郎が吉野へ到着して一声発した時点で鎌倉にいる頼朝が義経を許す気になっている可能性はゼロ」という結論へと至ったわけです。
 しかるに小谷野氏は、匿名者に告ぐ。において、この一節から「五段目で河越太郎が吉野へ到着して一声発した時点で」「鎌倉にいる」ならびに(許す)気になっている」という、時間・場所・意味内容をそれぞれ限定した文言を削除し、かつ、そもそもこれが単なる「憶測」にすぎないという我々の断り書き(続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容にあります)にも触れることなく、あたかも我々が断言でもしたかのような
「頼朝が義経を許す可能性がゼロ」
 へと改変してくださいました。まったく迷惑な話です。
 小谷野氏の文章は「とはなにゆえか」と続くのですが、その回答は「そっちで勝手に改変しときながら、なにゆえかもへったくれもないよ!」以外にありえません!

ぽわん:緻密さとか客観性とか、そういうものを持つ気はないんだろうかねえ。
たぬき:特に、「頼朝が義経を許す気になっている可能性はゼロ」と一続きになっているのに、真ん中の「気になっている」の箇所だけわざわざ削除したり、この記述そのものが憶測(シミュレーション)にすぎないと断っているにも関わらずそこには触れない小谷野氏のやり方は、極めて「卑怯な」ものだとしか言いようがない。「匿名は卑怯」とは彼の常套句だけど、そう言う彼の方こそが繰り出してくる「卑怯」な手を、以下で我々は何度か指摘することになるだろうね。ちなみに件の「頼朝が義経を許す可能性がゼロ」に関し、「引用が不完全だといちゃもんをつけているが、形を整えただけで、文意は変わっていない」式の言い訳は通用しませんよ。「許す気になっている」を「許す」に改変することは、「食べる気になっている」を「食べる」と改変することと同じ詐術が働いてますからね。また、「心の中で許したのであれば、それは許したということである。意味は同じである」式の言い草もまた通用しませんよ。意味が同じなのなら、「気になっている」をわざわざ削除せず、そのまま引用すれば済む話なんだからねえ。
ぽわん:匿名の件だけど、仮に彼が、「匿名は卑怯だからこちらもそれなりの対応に徹する、それが嫌なら実名を名乗れ」的なことを考えているとするなら、おかしいところを指摘した読者にそんなこと言うこと自体がナンセンス。そんなことより本質的な話として言いたいのは、「自分が書いたお粗末な内容について猛省せよ!
たぬき:あとさ、単純な事実誤認のうち、「うっかり間違えた」で済みそうなものだけ、彼は我々の指摘にあっさり応じたけど、自分の沽券に関わるようなものについてはあれこれと言い逃れしてるよね。これってどうなの? 以下のa)からr')までの中には、見解の相違とか言葉が足りなかったとか、そういう言い逃れが出来ない「ごく単純な事実誤認」がいくつも含まれてるよ、と、念を押した上で、以下に論点を整理します。*アルファベットは前回の我々の記事に呼応してまして、抜けてるところは「一応訂正済み」か、「言い抜けっぷりを細かく論証するのが面倒なので今回は止めた」な項目です。

----
b) 「仮名手本忠臣蔵」が初演されたのは元禄赤穂事件の同時代じゃないです
※この件に関し、匿名者に告ぐ。において、「徳川時代には同時代の出来事を狂言に仕組むのが禁じられた。「同時代」というのは徳川時代のこと、すなわち関ケ原以降のことである。」とあります。当然ながらこうした反論は予想されておりました。再反論のために、いったん『猿之助三代』の原文「同時代の事件を描くにも、「仮名手本忠臣蔵」のように『太平記』の中の逸話に仮託したり」に戻りましょう。
 ここで「事件を描く」のは誰でしょう。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の3人です。故にここでの「同時代」は、否応無く「彼ら3人が生きていた時代」を意味してしまいます。「「同時代」とは徳川時代のこと」なる小谷野氏の断言は、彼らではなく我々から見た視点に基づくものに他なりません。
c) 福地櫻痴は「鏡獅子」の作者として現在も有名です
匿名者に告ぐ。に「福地桜痴は、あんた(たち?)は知っているかもしれないが、世間的には全然知られていない」とありますが、『猿之助三代』なる一応は歌舞伎をテーマにした本を書いた著者の、この「世間的には全然知られていない」という発言がいかに無責任かを考えてみましょう。もしターゲットが"世間"であるのなら、『猿之助三代』では「この人はあなたたちが知らないかもしれないけど、実はこんな代表作があるんだよ」と書くのが筋ですよね。先の記事は、「世間で知られてないんだから俺も"あまり知られていない"って書いたんだよ文句あるか」みたいな言い分に聞こえますよ?
d) 三代目寿海の襲名披露興行の「桐一葉」@歌舞伎座は父子で出てないです
※今のところ訂正なし。
e) 歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけじゃないです
※この件に関し、匿名者に告ぐ。において、「筒井康隆は歌舞伎の台本を書いたのである」という唐突な断言が行われています… すいません、我々は「筒井康隆が書いたのは歌舞伎の台本ではない」とも「我々は歌舞伎の台本を書いた戦後作家を網羅した」とも言ったことはありませんが、ひょっとして、「やーい騙されたー 筒井康隆は歌舞伎の台本も書いたんだよー」とかそういうことが言いたいんですか? でしたら、どうぞご自由に溜飲をお下げください。ただ、「筒井康隆は歌舞伎の台本を書いたのである」との断言は、『猿之助三代』における、ご自身の「歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけであろう」と思いっきり矛盾を起こしてるですけど、いいんですか?
 でですね、訂正追加と愚痴において小谷野氏は「私が言いたかったのは、純文学の戦後作家が戯曲を書かなくなったということである」と発言していますが、そもそも歌舞伎は江戸時代から現在に至るまで基本的にはずーっと商業演劇で、お客の入る作品が書ける、つまりエンタテインメントの手腕を持った作者しか起用しないのが原則。よってこの要約は、以下の指摘e'へとアップデートされます。
e') 『猿之助三代』が、基本的には商業演劇である歌舞伎に関する本である以上、本文中に何の断りもないのに、「戦後作家とはすなわち純文学の戦後作家」の謂いだと後から言い出すのは卑怯だし思いっきり筋違いです
f) 菊五郎劇団は、そう明白には名乗っていない時期も六代目一門としての結束は固かったし、あと少なくとも「菊五郎劇団音楽部」の名称はずっとありました

匿名者に告ぐ。のこれ、反論になってません。小谷野氏が、日本俳優協会から言われたように「資料にあた」り、「ご自分で検証して見極め」た結果が、『猿之助三代』における「たまたま七代目菊五郎の周辺に人が集まったので、今でも「菊五郎劇団」と言っているだけらしく」に結晶したとするなら、はっきり言って資料の収集と検証能力のどちらか、あるいはその両方かが欠けてたんですね。
g) 「大人になったら猿之助、功なり名遂げた隠居名が段四郎」というのにはいろいろ無理があります
匿名者に告ぐ。がわざわざ言ってる、猿之助と段四郎の名跡の大きさが逆転してしまったというのは澤瀉屋のファンには周知の事実でして、特に問題がある訳ではありません。問題なのは「段四郎」の名跡を"隠居名"としている点です。澤瀉屋の隠居名は「猿翁」ただ一つです。「初代が猿翁を名乗るまでは「段四郎」が隠居名である」式の主張が無理筋であることは以前指摘した通りです。
h) (毛谷村六助)は(毛谷村)か(毛谷村六助住家)のどっちかじゃないと変です
匿名者に告ぐ。に「「毛谷村六助」は略称として落語でも出てくる。」とありますが、ほんと卑怯な言い逃れ。文楽でも歌舞伎でも「毛谷村六助」という言い方はしません。
i) 歌舞伎でもよく上演された近松の作として、「国性爺合戦」以外の時代物をすべて差し置いて改作の「心中天網島」が入るのはおかしいです
匿名者に告ぐ。に、「『心中天網島』が出てきて別におかしいことはない、いちゃもんである。」とありますが、「別におかしいことはない」理由を詳しくお聞かせください。あるいはもっと単純に、我々の考えであるところの「『吃又』も『俊寛』も『嫗山姥』も絶えず上演されてた」に対する反証でもいいです。
j) 「曾根崎心中」の初演は当たったという資料が残ってます
※この件に関し、訂正追加と愚痴に、「より正確にその後は書いている」とあるのですが、それはつまり、その後の著作をもって正誤表に代えるということですか? そんなおざなりな対応でいいんですか? 今のままだと、小谷野氏は浄瑠璃研究家なんてほぼ全員「信用しないほうがいい」 と主張してることに等しい気がするんですけど、それでいいんですか?だとするなら、小谷野氏における正誤表とは、読者のためのものではなく、単に本人のメンツのためのものにすぎないんですね。あとさ、「より正確にその後は書いている」ってどの著作のどの部分?
k) 「義経千本桜」は義経と頼朝の和解じゃなくて佐藤忠信の敵討ちで終わるのでは?
前回は小谷野氏の珍要約に誘われて思わぬ多弁を弄してしまったので、今回は単刀直入にいきます。「義経千本桜」五段目において、

・「頼朝と義経の和解が暗示されている」は正しいですが、
・「頼朝と義経が和解する」は間違いです。


 なぜかというと、前から言っているとおり「「義経千本桜」において頼朝と義経の和解はありえない、なぜならば相手の片方が存在しないから」です。小谷野氏は我々への反論において「頼朝義経の和解にいくというのが自然な道筋である」とか言ったりしていますが、この「道筋」もまた「義経千本桜」内には暗示という形でしか存在せず、「義経千本桜・完結編」か何かが書かれない限り、出現するすべがありません。
 そんな訳で彼のいう「義経と頼朝の和解で終わる」はいきなり袋小路なのですが、ついでに彼の「卑怯な」詭弁(あるいはただの誤解?)をひとつ紹介しておきましょう。彼は、自説である「義経と頼朝の和解で終わる」に固執するために、彼曰く“内山美樹子先生のもの”とされる(なぜ“ ”がついてるかというと、実際には角田一郎との共同だから)「頼朝と義経の関係に一応の結末をつける」という「新大系」(←補足しときますが「新 日本古典文学大系 竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集」という本です)の脚注を引用しているのですが、この小谷野氏の引用はとっても我田引水というか、初歩的な誤謬を犯しています。
 まず言えるのは、この本に書かれた「一応の結末をつける」とは「和解を暗示させる」の意であって、和解そのものではないということ。理由は、繰り返しになりますが「そもそも和解しようにもその相手がいない」から。なので私たぬきはこの脚注は正しいと思うし偏頗だとも思わないので(だってこれが五段目唯一の脚注とかなら偏ってるなーって思ったろうけどそうじゃないし)、小谷野氏の言う「もし(ぽわん&たぬきが)内山先生の解釈を「偏頗」だと言うなら、実名を名のり、堂々と学術論文を書いて対決するほかないだろう」の主張は全然あてはまりません。よって我々は学術論文など書かないし、そもそも対決しようにも論点の食い違いなど全くありません(こんなに筋を通してるのに「卑怯」とか言われたら、ほんと割に合わないよ)。
 あと、小谷野氏に「和解とはすなわち和解の暗示」とか言われたくないので一応付け加えておこうかな。五段目は、脚注で言ってる「頼朝と義経の関係に一応の結末」がついた後にもいろんな人間関係に「結末」がついて、それでようやく大団円なんだから、「「義経千本桜」は"和解の暗示"で終わる」訳でもないよ。「結末イコール終わり」みたいな、本文を知らない人しか騙されない短絡はやめてね。
l) クラシック音楽界における古楽器演奏や編成のスリム化は一時の流行じゃないです(藝術的な成功不成功は主観にせよ、継続してるのは事実)
匿名者に告ぐ。は、私が考える成功の定義とか、のらくらした記述に終始して、「成功不成功は主観にせよ、継続してるのは事実」という我々の指摘に対する返答になっておりません。
n) 四の切、澤瀉屋以外で宙乗り狐六法をやるのは当代海老蔵だけです
※これ、例によって匿名者に告ぐ。では言い逃れに徹してるけど、まあ『猿之助三代』本文中で、「今の松緑の襲名披露の時に宙乗りでないのを観たはずだがあまり覚えていない」とか言ってる時点ですでに終わってるというか、仮に松緑が宙乗りするならそれは家の藝を手放す大事件だとか、そういうことにも無知なんだからねえ。やってらんないよ。
o) 猿之助は73年以降身内の襲名披露にしか出ない訳じゃないです
匿名者に告ぐ。に、「藤十郎は、扇雀時代に一緒にやっているから、仲間と言ってもいい」とあるんですが、あのーすいません、襲名披露の口上に列座するということは、そもそも襲名する人と縁のある役者が集まってお祝いするということですから、猿之助と藤十郎程度の距離ですら「仲間」になってしまうと、小谷野氏の考える「仲間以外の襲名披露に出る」とは「縁の薄い役者の襲名披露に出る」という意味になってしまい、『猿之助三代』における「猿之助はこの後、自分の仲間以外の襲名披露には出なくなる」が「猿之助はこの後、縁の薄い役者の襲名披露には出なくなる」になってしまうので、なんでわざわざそんな当たり前の事を本に載せるのか、訳が分からなくなるのですが…。
p) 七十すぎた女形が若い女を演じる例は以前からあります
 これ、『猿之助三代』の原文は「いったい、六十、七十になって、女形が若い女を演じるなどということがあったのか」なのですが、六十だとあまりに数が多くなってしまいそうなのでひとまず基準を「七十以上」に設定し、七代目宗十郎と先代梅玉の例をもって反証としました。
 ですが、匿名者に告ぐ。において、「私は徳川ー明治時代のことを主として言っているのである」という、『猿之助三代』本文を読む限り絶対そんなふうには読めない(←ここ重要。ほんと卑怯だよね)初耳な制限が新たに増えてしまったので、基準をデフォルトの「六十、七十」に戻させてもらい、還暦過ぎても「鳴神」の絶間姫を演じたりしていた、享保生まれの初代中村富十郎の例をあげつつ、この要約を、p'へとアップデートしましょう。
p')徳川時代でも六十を過ぎた女形が若い女を演じた例があります
q)「金鶏」の猿之助はちゃんと演出してます

訂正追加と愚痴において訂正の報告が施されておりますが(具体的にはこちら)、いまだに問題があります。詳細は次のrにて。
r)「金鶏」の衣裳は歌舞伎の衣裳方が担当した訳じゃないです
訂正によれば、「「日本では演出と報道されたが」以下、削除し「演出もさることながら、毛利臣男が担当した衣装、朝倉摂の舞台装置など、歌舞伎風の背景が目にたった」に訂正したとのことです。
 ただし「金鶏」の衣裳と装置が「歌舞伎風」というのは間違いです。「スーパー歌舞伎風」ならばその通りです。何しろこっちが元祖なのですから。「金鶏」をご覧になったことのない方のために、画像はこちら。よってこの要約は、以下の指摘r'へとアップデートされます。
r')「金鶏」の衣裳は全然歌舞伎風じゃないです。朝倉摂によるモダンな抽象舞台は尚のこと

----

ぽわん:はっきり言って、我々への数々の「卑怯な」対応によって、この人は尊敬に値する著者じゃないことが明白になったと思う。我々もまた一読者であるという観点が毛頭ないところからして、読者を舐め過ぎ。
たぬき:さっきも言ったけど、このままだと、彼のウェブサイト上の正誤表は、読者のためのものではなく、もっぱら自分のメンツのためにしか存在しないということになる。彼は「正直者」を自認しているらしいけど、正直の定義=「正しくて、うそや偽りのないこと。また、そのさま。」を持った人間という意味じゃなくて、「自己肯定のためにはなりふり構わない、独善に陥った人間」ということになりやしないかねえ。
posted by powantanuki at 23:57 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月17日

続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容

ぽわん:たぬきさん渾身の、2013年5月14日付けの拙ブログ記事
小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その1
小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その2」を受けて、
小谷野敦氏のウェブサイト上に、いくつかの訂正ならびに反論が掲載されたね。
たぬき:うん。
 でね、もちろん彼の迅速な対応には敬意を表するんだけど、同時に疑問も生まれたんだよね。訂正は一部にとどまっているんだけど、だったら以下に要約した箇所は訂正に値しないと彼が考えた理由は何なんだろう?ってね。
ぽわん:ほほう。たぬきさんもしつこいね。
たぬき:しつこいって言うか、そのhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515に載った反論がなかなか面白くて、再反論したくなったというのがきっかけ。で、要約はそのついでに作ってみたんだ。ほら、小谷野氏って他人の著作の間違い指摘に血道を上げるみたいなとこがあるじゃない?
ぽわん:そうなの? 例えば?
たぬき:ほら、我々の記事をきっかけに思い出したらしい、橋本治『浄瑠璃を読もう』の間違いの指摘とか。
 だからね、たまには逆に、他人が小谷野氏の著作の間違い指摘にしばし情熱を傾けてもいいんじゃないの、みたいな(笑)。あ、勘違いしてほしくないんだけど、「これだけ数え上げたんだから全部正誤表に載せろ」みたいなことが言いたい訳じゃなくて、ほんと単純に、彼が訂正に値しないと考えたのは不思議でね。具体的には、以下のとおり。

----

a) 成田屋は成田山の檀家じゃないです
b) 「仮名手本忠臣蔵」が初演されたのは元禄赤穂事件の同時代じゃないです
c) 福地櫻痴は「鏡獅子」の作者として現在も有名です
d) 三代目寿海の襲名披露興行の「桐一葉」@歌舞伎座は父子で出てないです
e) 歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけじゃないです

※この件に関し、 2013年5月17日付のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515に「池波正太郎が戯曲を書いているという点だが、それなら筒井康隆だって書いている。私が言いたかったのは、純文学の戦後作家が戯曲を書かなくなったということである」とあるけれど、そもそも『猿之助三代』の本文では「戯曲」じゃなくって「歌舞伎の台本」の話をしてるんですけど。池波正太郎を例にあげたのはそのせいなんだけどなあ。あとは中島梓と夢枕獏あたりかな、「戯曲」じゃなくて「歌舞伎の台本」に限った話だと。
f) 菊五郎劇団は、そう明白には名乗っていない時期も六代目一門としての結束は固かったし、あと少なくとも「菊五郎劇団音楽部」の名称はずっとありました
g) 「大人になったら猿之助、功なり名遂げた隠居名が段四郎」というのにはいろいろ無理があります
h) (毛谷村六助)は(毛谷村)か(毛谷村六助住家)のどっちかじゃないと変です
i) 歌舞伎でもよく上演された近松の作として、「国性爺合戦」以外の時代物をすべて差し置いて改作の「心中天網島」が入るのはおかしいです
j) 「曾根崎心中」の初演は当たったという資料が残ってます
k) 「義経千本桜」は義経と頼朝の和解じゃなくて佐藤忠信の敵討ちで終わるのでは?

※この件に関し、2013年5月17日付のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515に「『義経千本桜』の最後は、頼朝の使者である河越太郎が、頼朝義経の不和は法皇だか朝方だかの陰謀だったと言うのだから、これは兄弟の和解である」とあるんだけど、この文は「千本桜」五段目の説明として極めて不正確、というかすごく歪んでる。
 「堀川御所の段」とは違い、ここでの河越太郎は頼朝の使者じゃなくて後白河院の使者(だって後白河院の綸命を持ってるんだもの)。原文をくだけた現代語に直すと、彼はふんじばった藤原朝方を連れて「ご無沙汰です義経公。初音の鼓に事よせて「義経よ頼朝を追討せよ」との院宣はこいつ藤原朝方の企みと知れました。こやつの処置は義経に任せるとの、後白河院からの綸命を持参しております」なんだけど、なんとここが氏の言う「河越太郎が、頼朝義経の不和は法皇だか朝方だかの陰謀だったと言う」にあたる部分なのだ! 綸命を出した張本人が「陰謀はわたくし後白河院か藤原朝方のどっちかが仕掛けました」なんて言うはずない!
 でね、実は五段目って、鎌倉勢と義経のふりをした佐藤忠信が一戦交えるという場面から始まる。仮に河越太郎が綸命を承ったのが鎌倉だったとして、その時点で綸命の内容が頼朝にも伝わっていたとするならば、こんな場面は存在しないはずだし、河越太郎自身「誤解が解けたので頼朝公はあなたを許しますよ」とかなんとか言わないのは不自然なので、河越太郎は京都に到着するまで綸命の内容を知らず、そんでもってなにしろ綸命なんだから藤原朝方をふんじばり次第吉野へ直行したはず。まあ手紙や使者ぐらいは鎌倉に送る余裕はあったかもしれないけど、つまるところ、五段目で河越太郎が吉野へ到着して一声発した時点で鎌倉にいる頼朝が義経を許す気になっている可能性はゼロ。 …っていう憶測は単に小谷野氏の短絡ぶりを指摘する傍証にしかすぎなくて、こっからが本題。「和解の暗示」論者に言わせれば、五段目のポイントは、「どこにも明言されていないにもかかわらず(←ここ重要)、あちこちに仕込まれた記号から、「頼朝と義経の和解」の主題がおぼろげに浮かび上がっている」ということ。
 もちろんこれ、表舞台では殺し殺されの派手な対決模様が進行してる裏で微かに感じ取れるタイプの主題であって、言い換えれば「和解の暗示」はどこまで行っても「暗示」だし、そこにとどめる事こそが作者たちの狙いなんだよね。だから小谷野氏みたいに、表舞台の殺し殺されも暗示の一言も置いてきぼりにしていきなり「和解で終わる」って断言しちゃったらそれこそ狙いが分かってないというか読めてないというかひょっとするとどっかで読みかじったか聞きかじったのをそのまま書いただけじゃないのって感じだし、それ以前に「義経千本桜」が戯曲であるという大原則を忘れて、「頼朝と義経の和解で終わるから、びっくりである」などと、あたかも舞台上に頼朝と義経が出てきて握手しちゃうよ大仰天、みたいに読めちゃう言い回しを用いることは、いろんな意味で間違ってるんだよ。
l) クラシック音楽界における古楽器演奏や編成のスリム化は一時の流行じゃないです(藝術的な成功不成功は主観にせよ、継続してるのは事実)
m) 人形浄瑠璃では昔から一段を複数の太夫で語り分けてます

※2013年5月17日付のhttp://d.hatena.jp/jun-jun1965/20130515では、著名な浄瑠璃サイト「音曲の司」中の一節から、「太夫の人数が増え続け、一興行で多くの太夫を出演させるために、また太夫の格や顔を維持するために、一段を更に細分して上演されるようになった。」を引用して反証(?)にしてるね。でもさ、『猿之助三代』では分担に藝術的理由を見出していないのに対し、「音曲の司」で基準の1つとして取り上げられた「格」という概念自体、とっても藝術的なものなんじゃないの? まあ、分担制のスタートは、太夫のそれにせよ作者のそれにせよ、質的(藝術的)・量的増大という興隆期ならではの現象が生んだものだという意味のことは、以前も鳥越文蔵を引用して言ったんだけどね。
 いずれにせよ、「音曲の司」とか鳥越文蔵が言ってるのは、太夫が増えると同時に戯曲もどんどん長くなっていった、言うなればパイの大きさもそれを食べる人数もどんどん拡大していった時代。それに引き換え『猿之助三代』の該当箇所、「太夫が多くなり過ぎたため、一人で全部語ると何も仕事のない太夫ができてしまうので、無理に分けた」っていう言い方だと、パイの大きさは変わらないのに食べる人数だけが増えたって感じだよね。やっぱり変だなあ…。
n) 四の切、澤瀉屋以外で宙乗り狐六法をやるのは当代海老蔵だけです
o) 猿之助は73年以降身内の襲名披露にしか出ない訳じゃないです

※2013年5月17日付のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515では「2000年くらいになると緩和される」とあるんだけど、91年の段階ですでに当代藤十郎の鴈治郎襲名披露口上に列座してるみたいですよ。まあいずれにせよ、『猿之助三代』本文において、「…年の誰々襲名公演まで」とか、あるいは「何年間ほど」などの期間を限定する表現がない以上、間違いは間違いです。
p) 七十すぎた女形が若い女を演じる例は以前からあります
q)「金鶏」の猿之助はちゃんと演出してます
r)「金鶏」の衣裳は歌舞伎の衣裳方が担当した訳じゃないです


----

ぽわん:なるほどねえ。たぬきさんも執拗だなとは思うけど、小谷野氏の訂正http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515は徐々に、あるいは一挙に増えるのかなあ?
たぬき:さあ、どうかな? 尚、「その2」のほうの「良弁杉由来」に関し、「2013年5月17日追記:小谷野氏ご当人の発言として「「良弁杉由来」を額田六福作と勘違いしたのは、サイニイで検索したからではなくて、まさにそこに出ている国立劇場公演を観に行って、「冬木心中」の方の作者である「額田六福」と「良弁杉」が頭の中で結びついてしまったからである。」とのコメントを頂戴しました。」の一文を追加いたしました。
posted by powantanuki at 23:03 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その1

新書の杜撰さは、どこまで許されるか


ぽわん:今日はたぬきさんがご立腹のようだね。わたくしは聞き役に徹しますよ。
たぬき:いや、立腹というかね、小谷野敦の『猿之助三代』にびっくりしたんだよ。
 氏の著作にありがちな「うわー皮相な解釈」とか「これって邪推以外の何物でもなし」みたいなのに辟易したっていうのもあるんだけど、そういう浅薄な主観こそ彼の著作のファンには好まれるらしいねえ。著者と読者の品格が釣り合ってるのかな? まあそういうのは基本的にスルーして、今回はいっぱいある間違いをひたすら指摘していこうと思うよ。ぽわんさんには長々と付き合わせることになるけどごめんね。
ぽわん:事実誤認が相当たくさんあるんだってね、この本。
たぬき:うん。実は出版直後に「十五代目中村歌右衛門」という、私たぬきなら筆を折りたくなるくらいの初歩的ミスで有名になったらしい(例えばhttp://theater-angel2.blog.so-net.ne.jp/2011-06-21)。それを含む著者自筆の正誤表がhttp://homepage2.nifty.com/akoyano/teisei.html#ennosukeだけど、それでは済まなかったんだねえ。まずはP17に、 成田屋は「成田山新勝寺の檀家である」とある。確かに縁は深いけど、正式な檀家だったことはないはず。成田屋はずっと芝の常照院の檀家で、九代目以降は神道に改宗したんだし。
 次。P38に、「同時代の事件を描くにも、「仮名手本忠臣蔵」のように『太平記』の中の逸話に仮託したり」とあるけれど、「仮名手本忠臣蔵」が初演されたのは、元禄赤穂事件の"同時代"ではない。知っての通りこの演目、四十七士にちなみ、事件から"47年目"として売り出したんだからね。
ぽわん:今から見れば同時代だけど、当時47年の開きは大きいからねえ。こういうのは、誰でもやりがちな、だからこそ気をつけなければいけないことだねえ。
たぬき:どんどん行くね。P38に「福地櫻痴も、今ではあまり知られない作者になっている」とあるけど、もちろんそんなことなくて、新歌舞伎十八番「春興鏡獅子」の作詞者として有名。「「鏡獅子」は有名だけどその作者は有名じゃないだろ」という反論が想像できなくもないけど、それなら初代二代の竹田出雲も三代目河竹新七も"あまり知られない"ということになり、歌舞伎作者は近松と南北と默阿彌以外全員"あまり知られない"ということになってしまうねえ。
ぽわん:著者にとっては、そうなんじゃないの?(笑)
たぬき:P60には「しかし荷風は、劇評はしても、戯曲を書くことはなかった」とあるけれど無論そんな訳なくて、現行のひとつ前の旧荷風全集・第12巻は、まるごと戯曲とシナリオ梗概だけでできてる。困ったもんだねえ。
ぽわん:ええと、これも著者にとってはそうだったとか?(戯曲を書いたとは見なさねえー、みたいな・笑)
たぬき:そこもか!(笑) P131の「九郎右衛門」は「九朗右衛門」ね。著者の正誤表から漏れてるよ。次、P132-3に「二十六年(中略)五月には寿美蔵が三代寿海(一八八六−一九七一)を襲名し、歌舞伎座での披露興行では、昼の「桐一葉」に父子で出て」とあるけど、これはいろいろと間違い。寿美蔵が寿海を襲名したのは二十六年五月じゃなくて二十四年二月。そんでもって東京での披露興行の「桐一葉」には、父は出てても子は出てない。夜の「黒塚」には共に出てるけどね。
 それから、P134に 「歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけであろう」とあるけれど、大劇場の劇作家をいっぱい輩出した長谷川伸の新鷹会系列が忘れられてる。池波正太郎・平岩弓枝あたりは書いてるよ。後者が書いたのが純粋な歌舞伎脚本かと言われれば微妙だけど、前者が書いたのはそう言って差し支えない。彼は安部公房とは1歳、三島と2歳違いだし。
 P141に「たまたま七代目菊五郎の周辺に人が集まったので、今でも「菊五郎劇団」と言っているだけらしく」とあるけれど、六代目死後、当代襲名までの名跡空白期間も、少なくとも囃子方や長唄連中はずっと「菊五郎劇団音楽部」を標榜してたし、役者たちの「六代目が残したものを守る」という結束もまた固かった。当代襲名時にたまたま人が集まった訳じゃないよ。P150には「大人になったら猿之助、功なり名遂げた隠居名が段四郎」とあるけれど、"助"が付く名跡は、本来は文字通り座頭を"助ける"立場にある役者のものだし、同じ意味で"郎"が付く名跡が隠居名であるはずがない。そもそも歴史の浅い澤瀉屋の名跡に法則性を見いだそうとしても無理があるんだよね。
 次は小さいやつをいくつか。P153 「三人吉三」に「きちざ」ってルビがふってあるけど、当然「きちさ」が正しい。P173「彦山権現誓助剣(毛谷村六助)」は変。(毛谷村)か(毛谷村六助住家)のどちらかじゃないと。あとP177に「近松作品で、一貫して歌舞伎でもよく上演されたのは「国性爺合戦」であり、せいぜい「心中天網島」である」とあるけれど、「吃又」も「俊寛」も「嫗山姥」も絶えず上演されてたよ。和事は改作の度合いが高いから近松の上演とは言いがたい面もあると思うんだけど、なんで次に挙げてるのが「心中天網島」なんだろ?そもそも江戸時代には近松の本領は時代物にありとされてたんだしねえ。
 続いて「「曾根崎心中」は近松の世話もの、心中ものの第一作だが、当時大ヒットした、などと書いている人がいたら、その著者は信用しないほうがいい」とあるけど、「今昔操年代記」とか「浄瑠璃譜」とかに見える「曾根崎心中」は当たったという記述を真っ向から否定するには何か深い訳があるんだろうから、その論拠が知りたいねえ。ちなみに「今昔操年代記」の該当ページはhttp://kateibunko.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/katei-jpeg/big/katei3/0905/09050017.jpgで、「浄瑠璃譜」はhttp://kateibunko.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/katei-jpeg/big/katei4/0921/09210004.jpgね。
ぽわん:ルビとか歴史的な事実とかについては、出版社の校閲の人達、何してたんだ、という気持ちにもなるねえ。
たぬき:いわゆる新書ブームによる粗製濫造の弊害なんだろうねえ、こういう杜撰な本が出回ってしまうのは。
ぽわん:自己弁護するわけじゃないけど、われわれのブログのような、無償でインターネットで書いているものと違って、本は完成形で出すものだ、という認識が、そもそも著者にはないんだろうねえ。でも、ネット上の記事とは違って、本って学生が教材的に使ったりすると思うんだけど、まあそれも著者にとっては「鵜呑みにするほうがバカ」ってことになるのかな?
たぬき:「web上で正誤表を公開している自分は正直」という論理があるらしいね、彼の中に。PCのアプリケーションで言えば、発売後に発覚した不具合にパッチを当てる、みたいなことなのかもしれないけど、すべてがデータから成り立ってるアプリケーションと紙である書籍とでは、初版で求められる完成度には雲泥の差があると思うけど。
 次いでP179 に「「義経千本桜」など、義経と頼朝の和解で終わるのだから、びっくりである」って書いてあるけど、そんな事ないよ! 佐藤忠信が兄の仇・平教経を討って終わるんだよー。そもそも「義経千本桜」全幕で一度も舞台に登場しない頼朝が、どうやって義経と和解できるのよ!!
ぽわん:ここ、わたしも今見てみたけど、「歌舞伎役者ですら、本行の全体の筋を知らないことがあって」とあるよ。もしかして歌舞伎役者が勘違いした話とか? だとしても日本語が変な気がするけど。
たぬき:えーとね、五段目に、頼朝と義経の不和は藤原朝方が仕組んだものだったことが判明するっていうくだりがあるんだけど、そこを取り出して「五段目において義経と頼朝の和解が"暗示"されている」みたいな、「千本桜」全体の流れから見れば少々偏頗な論があるのは事実なんだよね。それを鵜呑みにして、というか勝手に拡大解釈して「義経と頼朝の和解で終わる」になったのかなあ。だとすれば、明記してほしいね。「千本桜」を通読したことのない人に、それこそ鵜呑みにされちゃうよ。(その2に続く)
posted by powantanuki at 21:09 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。