2013年05月22日

続続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容

ぽわん:2013年5月18日付けの小谷野氏のブログタイトルが、匿名者に告ぐ。となっているけど、内容から察するにどうやら我々のことだねえ。
たぬき:我々は「ぽわん&たぬき」なる記名のもとに存在する猫であって、アノニマスな存在ではないのだけれど、その辺の違いは小谷野氏には分かってもらえないでしょうからひとまずおいといて…
ぽわん:こっちはボランティアで著書の誤りを指摘しているのに、本人は誹謗中傷としか受け止めず、「匿名は卑怯」と吠えているのが不思議だよ。著者なんだから、こちらが勘違いしているようなところがもしあるなら反論するにしても、正しい指摘は甘んじて受ければいいのに。その本質から目を背けて「犯人探し」に奔走しているのは見苦しいね。
たぬき:小谷野氏の反論がまた、汚いやり口なんだよね。そこでまず、このブログに目を通してくださっている方々に、ここから先を読み進めるにあたり事前に知っててもらいたいことがあるんです。それは小谷野氏が、反論するにあたって、こちらの意見を不完全に引用し、結果的にねじ曲げていることです。

 まず、我々は、小谷野氏の反論への回答である、続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容において、「義経千本桜」で源頼朝(登場人物として舞台に上がることはなく、間接的に言及されるのみなのですが)と源義経が、終幕において和解する可能性があるのかどうか憶測をめぐらせるという一種のシミュレーションを行ったんだけど、その結果、「五段目で河越太郎が吉野へ到着して一声発した時点で鎌倉にいる頼朝が義経を許す気になっている可能性はゼロ」という結論へと至ったわけです。
 しかるに小谷野氏は、匿名者に告ぐ。において、この一節から「五段目で河越太郎が吉野へ到着して一声発した時点で」「鎌倉にいる」ならびに(許す)気になっている」という、時間・場所・意味内容をそれぞれ限定した文言を削除し、かつ、そもそもこれが単なる「憶測」にすぎないという我々の断り書き(続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容にあります)にも触れることなく、あたかも我々が断言でもしたかのような
「頼朝が義経を許す可能性がゼロ」
 へと改変してくださいました。まったく迷惑な話です。
 小谷野氏の文章は「とはなにゆえか」と続くのですが、その回答は「そっちで勝手に改変しときながら、なにゆえかもへったくれもないよ!」以外にありえません!

ぽわん:緻密さとか客観性とか、そういうものを持つ気はないんだろうかねえ。
たぬき:特に、「頼朝が義経を許す気になっている可能性はゼロ」と一続きになっているのに、真ん中の「気になっている」の箇所だけわざわざ削除したり、この記述そのものが憶測(シミュレーション)にすぎないと断っているにも関わらずそこには触れない小谷野氏のやり方は、極めて「卑怯な」ものだとしか言いようがない。「匿名は卑怯」とは彼の常套句だけど、そう言う彼の方こそが繰り出してくる「卑怯」な手を、以下で我々は何度か指摘することになるだろうね。ちなみに件の「頼朝が義経を許す可能性がゼロ」に関し、「引用が不完全だといちゃもんをつけているが、形を整えただけで、文意は変わっていない」式の言い訳は通用しませんよ。「許す気になっている」を「許す」に改変することは、「食べる気になっている」を「食べる」と改変することと同じ詐術が働いてますからね。また、「心の中で許したのであれば、それは許したということである。意味は同じである」式の言い草もまた通用しませんよ。意味が同じなのなら、「気になっている」をわざわざ削除せず、そのまま引用すれば済む話なんだからねえ。
ぽわん:匿名の件だけど、仮に彼が、「匿名は卑怯だからこちらもそれなりの対応に徹する、それが嫌なら実名を名乗れ」的なことを考えているとするなら、おかしいところを指摘した読者にそんなこと言うこと自体がナンセンス。そんなことより本質的な話として言いたいのは、「自分が書いたお粗末な内容について猛省せよ!
たぬき:あとさ、単純な事実誤認のうち、「うっかり間違えた」で済みそうなものだけ、彼は我々の指摘にあっさり応じたけど、自分の沽券に関わるようなものについてはあれこれと言い逃れしてるよね。これってどうなの? 以下のa)からr')までの中には、見解の相違とか言葉が足りなかったとか、そういう言い逃れが出来ない「ごく単純な事実誤認」がいくつも含まれてるよ、と、念を押した上で、以下に論点を整理します。*アルファベットは前回の我々の記事に呼応してまして、抜けてるところは「一応訂正済み」か、「言い抜けっぷりを細かく論証するのが面倒なので今回は止めた」な項目です。

----
b) 「仮名手本忠臣蔵」が初演されたのは元禄赤穂事件の同時代じゃないです
※この件に関し、匿名者に告ぐ。において、「徳川時代には同時代の出来事を狂言に仕組むのが禁じられた。「同時代」というのは徳川時代のこと、すなわち関ケ原以降のことである。」とあります。当然ながらこうした反論は予想されておりました。再反論のために、いったん『猿之助三代』の原文「同時代の事件を描くにも、「仮名手本忠臣蔵」のように『太平記』の中の逸話に仮託したり」に戻りましょう。
 ここで「事件を描く」のは誰でしょう。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の3人です。故にここでの「同時代」は、否応無く「彼ら3人が生きていた時代」を意味してしまいます。「「同時代」とは徳川時代のこと」なる小谷野氏の断言は、彼らではなく我々から見た視点に基づくものに他なりません。
c) 福地櫻痴は「鏡獅子」の作者として現在も有名です
匿名者に告ぐ。に「福地桜痴は、あんた(たち?)は知っているかもしれないが、世間的には全然知られていない」とありますが、『猿之助三代』なる一応は歌舞伎をテーマにした本を書いた著者の、この「世間的には全然知られていない」という発言がいかに無責任かを考えてみましょう。もしターゲットが"世間"であるのなら、『猿之助三代』では「この人はあなたたちが知らないかもしれないけど、実はこんな代表作があるんだよ」と書くのが筋ですよね。先の記事は、「世間で知られてないんだから俺も"あまり知られていない"って書いたんだよ文句あるか」みたいな言い分に聞こえますよ?
d) 三代目寿海の襲名披露興行の「桐一葉」@歌舞伎座は父子で出てないです
※今のところ訂正なし。
e) 歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけじゃないです
※この件に関し、匿名者に告ぐ。において、「筒井康隆は歌舞伎の台本を書いたのである」という唐突な断言が行われています… すいません、我々は「筒井康隆が書いたのは歌舞伎の台本ではない」とも「我々は歌舞伎の台本を書いた戦後作家を網羅した」とも言ったことはありませんが、ひょっとして、「やーい騙されたー 筒井康隆は歌舞伎の台本も書いたんだよー」とかそういうことが言いたいんですか? でしたら、どうぞご自由に溜飲をお下げください。ただ、「筒井康隆は歌舞伎の台本を書いたのである」との断言は、『猿之助三代』における、ご自身の「歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけであろう」と思いっきり矛盾を起こしてるですけど、いいんですか?
 でですね、訂正追加と愚痴において小谷野氏は「私が言いたかったのは、純文学の戦後作家が戯曲を書かなくなったということである」と発言していますが、そもそも歌舞伎は江戸時代から現在に至るまで基本的にはずーっと商業演劇で、お客の入る作品が書ける、つまりエンタテインメントの手腕を持った作者しか起用しないのが原則。よってこの要約は、以下の指摘e'へとアップデートされます。
e') 『猿之助三代』が、基本的には商業演劇である歌舞伎に関する本である以上、本文中に何の断りもないのに、「戦後作家とはすなわち純文学の戦後作家」の謂いだと後から言い出すのは卑怯だし思いっきり筋違いです
f) 菊五郎劇団は、そう明白には名乗っていない時期も六代目一門としての結束は固かったし、あと少なくとも「菊五郎劇団音楽部」の名称はずっとありました

匿名者に告ぐ。のこれ、反論になってません。小谷野氏が、日本俳優協会から言われたように「資料にあた」り、「ご自分で検証して見極め」た結果が、『猿之助三代』における「たまたま七代目菊五郎の周辺に人が集まったので、今でも「菊五郎劇団」と言っているだけらしく」に結晶したとするなら、はっきり言って資料の収集と検証能力のどちらか、あるいはその両方かが欠けてたんですね。
g) 「大人になったら猿之助、功なり名遂げた隠居名が段四郎」というのにはいろいろ無理があります
匿名者に告ぐ。がわざわざ言ってる、猿之助と段四郎の名跡の大きさが逆転してしまったというのは澤瀉屋のファンには周知の事実でして、特に問題がある訳ではありません。問題なのは「段四郎」の名跡を"隠居名"としている点です。澤瀉屋の隠居名は「猿翁」ただ一つです。「初代が猿翁を名乗るまでは「段四郎」が隠居名である」式の主張が無理筋であることは以前指摘した通りです。
h) (毛谷村六助)は(毛谷村)か(毛谷村六助住家)のどっちかじゃないと変です
匿名者に告ぐ。に「「毛谷村六助」は略称として落語でも出てくる。」とありますが、ほんと卑怯な言い逃れ。文楽でも歌舞伎でも「毛谷村六助」という言い方はしません。
i) 歌舞伎でもよく上演された近松の作として、「国性爺合戦」以外の時代物をすべて差し置いて改作の「心中天網島」が入るのはおかしいです
匿名者に告ぐ。に、「『心中天網島』が出てきて別におかしいことはない、いちゃもんである。」とありますが、「別におかしいことはない」理由を詳しくお聞かせください。あるいはもっと単純に、我々の考えであるところの「『吃又』も『俊寛』も『嫗山姥』も絶えず上演されてた」に対する反証でもいいです。
j) 「曾根崎心中」の初演は当たったという資料が残ってます
※この件に関し、訂正追加と愚痴に、「より正確にその後は書いている」とあるのですが、それはつまり、その後の著作をもって正誤表に代えるということですか? そんなおざなりな対応でいいんですか? 今のままだと、小谷野氏は浄瑠璃研究家なんてほぼ全員「信用しないほうがいい」 と主張してることに等しい気がするんですけど、それでいいんですか?だとするなら、小谷野氏における正誤表とは、読者のためのものではなく、単に本人のメンツのためのものにすぎないんですね。あとさ、「より正確にその後は書いている」ってどの著作のどの部分?
k) 「義経千本桜」は義経と頼朝の和解じゃなくて佐藤忠信の敵討ちで終わるのでは?
前回は小谷野氏の珍要約に誘われて思わぬ多弁を弄してしまったので、今回は単刀直入にいきます。「義経千本桜」五段目において、

・「頼朝と義経の和解が暗示されている」は正しいですが、
・「頼朝と義経が和解する」は間違いです。


 なぜかというと、前から言っているとおり「「義経千本桜」において頼朝と義経の和解はありえない、なぜならば相手の片方が存在しないから」です。小谷野氏は我々への反論において「頼朝義経の和解にいくというのが自然な道筋である」とか言ったりしていますが、この「道筋」もまた「義経千本桜」内には暗示という形でしか存在せず、「義経千本桜・完結編」か何かが書かれない限り、出現するすべがありません。
 そんな訳で彼のいう「義経と頼朝の和解で終わる」はいきなり袋小路なのですが、ついでに彼の「卑怯な」詭弁(あるいはただの誤解?)をひとつ紹介しておきましょう。彼は、自説である「義経と頼朝の和解で終わる」に固執するために、彼曰く“内山美樹子先生のもの”とされる(なぜ“ ”がついてるかというと、実際には角田一郎との共同だから)「頼朝と義経の関係に一応の結末をつける」という「新大系」(←補足しときますが「新 日本古典文学大系 竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集」という本です)の脚注を引用しているのですが、この小谷野氏の引用はとっても我田引水というか、初歩的な誤謬を犯しています。
 まず言えるのは、この本に書かれた「一応の結末をつける」とは「和解を暗示させる」の意であって、和解そのものではないということ。理由は、繰り返しになりますが「そもそも和解しようにもその相手がいない」から。なので私たぬきはこの脚注は正しいと思うし偏頗だとも思わないので(だってこれが五段目唯一の脚注とかなら偏ってるなーって思ったろうけどそうじゃないし)、小谷野氏の言う「もし(ぽわん&たぬきが)内山先生の解釈を「偏頗」だと言うなら、実名を名のり、堂々と学術論文を書いて対決するほかないだろう」の主張は全然あてはまりません。よって我々は学術論文など書かないし、そもそも対決しようにも論点の食い違いなど全くありません(こんなに筋を通してるのに「卑怯」とか言われたら、ほんと割に合わないよ)。
 あと、小谷野氏に「和解とはすなわち和解の暗示」とか言われたくないので一応付け加えておこうかな。五段目は、脚注で言ってる「頼朝と義経の関係に一応の結末」がついた後にもいろんな人間関係に「結末」がついて、それでようやく大団円なんだから、「「義経千本桜」は"和解の暗示"で終わる」訳でもないよ。「結末イコール終わり」みたいな、本文を知らない人しか騙されない短絡はやめてね。
l) クラシック音楽界における古楽器演奏や編成のスリム化は一時の流行じゃないです(藝術的な成功不成功は主観にせよ、継続してるのは事実)
匿名者に告ぐ。は、私が考える成功の定義とか、のらくらした記述に終始して、「成功不成功は主観にせよ、継続してるのは事実」という我々の指摘に対する返答になっておりません。
n) 四の切、澤瀉屋以外で宙乗り狐六法をやるのは当代海老蔵だけです
※これ、例によって匿名者に告ぐ。では言い逃れに徹してるけど、まあ『猿之助三代』本文中で、「今の松緑の襲名披露の時に宙乗りでないのを観たはずだがあまり覚えていない」とか言ってる時点ですでに終わってるというか、仮に松緑が宙乗りするならそれは家の藝を手放す大事件だとか、そういうことにも無知なんだからねえ。やってらんないよ。
o) 猿之助は73年以降身内の襲名披露にしか出ない訳じゃないです
匿名者に告ぐ。に、「藤十郎は、扇雀時代に一緒にやっているから、仲間と言ってもいい」とあるんですが、あのーすいません、襲名披露の口上に列座するということは、そもそも襲名する人と縁のある役者が集まってお祝いするということですから、猿之助と藤十郎程度の距離ですら「仲間」になってしまうと、小谷野氏の考える「仲間以外の襲名披露に出る」とは「縁の薄い役者の襲名披露に出る」という意味になってしまい、『猿之助三代』における「猿之助はこの後、自分の仲間以外の襲名披露には出なくなる」が「猿之助はこの後、縁の薄い役者の襲名披露には出なくなる」になってしまうので、なんでわざわざそんな当たり前の事を本に載せるのか、訳が分からなくなるのですが…。
p) 七十すぎた女形が若い女を演じる例は以前からあります
 これ、『猿之助三代』の原文は「いったい、六十、七十になって、女形が若い女を演じるなどということがあったのか」なのですが、六十だとあまりに数が多くなってしまいそうなのでひとまず基準を「七十以上」に設定し、七代目宗十郎と先代梅玉の例をもって反証としました。
 ですが、匿名者に告ぐ。において、「私は徳川ー明治時代のことを主として言っているのである」という、『猿之助三代』本文を読む限り絶対そんなふうには読めない(←ここ重要。ほんと卑怯だよね)初耳な制限が新たに増えてしまったので、基準をデフォルトの「六十、七十」に戻させてもらい、還暦過ぎても「鳴神」の絶間姫を演じたりしていた、享保生まれの初代中村富十郎の例をあげつつ、この要約を、p'へとアップデートしましょう。
p')徳川時代でも六十を過ぎた女形が若い女を演じた例があります
q)「金鶏」の猿之助はちゃんと演出してます

訂正追加と愚痴において訂正の報告が施されておりますが(具体的にはこちら)、いまだに問題があります。詳細は次のrにて。
r)「金鶏」の衣裳は歌舞伎の衣裳方が担当した訳じゃないです
訂正によれば、「「日本では演出と報道されたが」以下、削除し「演出もさることながら、毛利臣男が担当した衣装、朝倉摂の舞台装置など、歌舞伎風の背景が目にたった」に訂正したとのことです。
 ただし「金鶏」の衣裳と装置が「歌舞伎風」というのは間違いです。「スーパー歌舞伎風」ならばその通りです。何しろこっちが元祖なのですから。「金鶏」をご覧になったことのない方のために、画像はこちら。よってこの要約は、以下の指摘r'へとアップデートされます。
r')「金鶏」の衣裳は全然歌舞伎風じゃないです。朝倉摂によるモダンな抽象舞台は尚のこと

----

ぽわん:はっきり言って、我々への数々の「卑怯な」対応によって、この人は尊敬に値する著者じゃないことが明白になったと思う。我々もまた一読者であるという観点が毛頭ないところからして、読者を舐め過ぎ。
たぬき:さっきも言ったけど、このままだと、彼のウェブサイト上の正誤表は、読者のためのものではなく、もっぱら自分のメンツのためにしか存在しないということになる。彼は「正直者」を自認しているらしいけど、正直の定義=「正しくて、うそや偽りのないこと。また、そのさま。」を持った人間という意味じゃなくて、「自己肯定のためにはなりふり構わない、独善に陥った人間」ということになりやしないかねえ。
posted by powantanuki at 23:57 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/362997617

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。