2013年05月17日

続・小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容

ぽわん:たぬきさん渾身の、2013年5月14日付けの拙ブログ記事
小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その1
小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その2」を受けて、
小谷野敦氏のウェブサイト上に、いくつかの訂正ならびに反論が掲載されたね。
たぬき:うん。
 でね、もちろん彼の迅速な対応には敬意を表するんだけど、同時に疑問も生まれたんだよね。訂正は一部にとどまっているんだけど、だったら以下に要約した箇所は訂正に値しないと彼が考えた理由は何なんだろう?ってね。
ぽわん:ほほう。たぬきさんもしつこいね。
たぬき:しつこいって言うか、そのhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515に載った反論がなかなか面白くて、再反論したくなったというのがきっかけ。で、要約はそのついでに作ってみたんだ。ほら、小谷野氏って他人の著作の間違い指摘に血道を上げるみたいなとこがあるじゃない?
ぽわん:そうなの? 例えば?
たぬき:ほら、我々の記事をきっかけに思い出したらしい、橋本治『浄瑠璃を読もう』の間違いの指摘とか。
 だからね、たまには逆に、他人が小谷野氏の著作の間違い指摘にしばし情熱を傾けてもいいんじゃないの、みたいな(笑)。あ、勘違いしてほしくないんだけど、「これだけ数え上げたんだから全部正誤表に載せろ」みたいなことが言いたい訳じゃなくて、ほんと単純に、彼が訂正に値しないと考えたのは不思議でね。具体的には、以下のとおり。

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a) 成田屋は成田山の檀家じゃないです
b) 「仮名手本忠臣蔵」が初演されたのは元禄赤穂事件の同時代じゃないです
c) 福地櫻痴は「鏡獅子」の作者として現在も有名です
d) 三代目寿海の襲名披露興行の「桐一葉」@歌舞伎座は父子で出てないです
e) 歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけじゃないです

※この件に関し、 2013年5月17日付のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515に「池波正太郎が戯曲を書いているという点だが、それなら筒井康隆だって書いている。私が言いたかったのは、純文学の戦後作家が戯曲を書かなくなったということである」とあるけれど、そもそも『猿之助三代』の本文では「戯曲」じゃなくって「歌舞伎の台本」の話をしてるんですけど。池波正太郎を例にあげたのはそのせいなんだけどなあ。あとは中島梓と夢枕獏あたりかな、「戯曲」じゃなくて「歌舞伎の台本」に限った話だと。
f) 菊五郎劇団は、そう明白には名乗っていない時期も六代目一門としての結束は固かったし、あと少なくとも「菊五郎劇団音楽部」の名称はずっとありました
g) 「大人になったら猿之助、功なり名遂げた隠居名が段四郎」というのにはいろいろ無理があります
h) (毛谷村六助)は(毛谷村)か(毛谷村六助住家)のどっちかじゃないと変です
i) 歌舞伎でもよく上演された近松の作として、「国性爺合戦」以外の時代物をすべて差し置いて改作の「心中天網島」が入るのはおかしいです
j) 「曾根崎心中」の初演は当たったという資料が残ってます
k) 「義経千本桜」は義経と頼朝の和解じゃなくて佐藤忠信の敵討ちで終わるのでは?

※この件に関し、2013年5月17日付のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515に「『義経千本桜』の最後は、頼朝の使者である河越太郎が、頼朝義経の不和は法皇だか朝方だかの陰謀だったと言うのだから、これは兄弟の和解である」とあるんだけど、この文は「千本桜」五段目の説明として極めて不正確、というかすごく歪んでる。
 「堀川御所の段」とは違い、ここでの河越太郎は頼朝の使者じゃなくて後白河院の使者(だって後白河院の綸命を持ってるんだもの)。原文をくだけた現代語に直すと、彼はふんじばった藤原朝方を連れて「ご無沙汰です義経公。初音の鼓に事よせて「義経よ頼朝を追討せよ」との院宣はこいつ藤原朝方の企みと知れました。こやつの処置は義経に任せるとの、後白河院からの綸命を持参しております」なんだけど、なんとここが氏の言う「河越太郎が、頼朝義経の不和は法皇だか朝方だかの陰謀だったと言う」にあたる部分なのだ! 綸命を出した張本人が「陰謀はわたくし後白河院か藤原朝方のどっちかが仕掛けました」なんて言うはずない!
 でね、実は五段目って、鎌倉勢と義経のふりをした佐藤忠信が一戦交えるという場面から始まる。仮に河越太郎が綸命を承ったのが鎌倉だったとして、その時点で綸命の内容が頼朝にも伝わっていたとするならば、こんな場面は存在しないはずだし、河越太郎自身「誤解が解けたので頼朝公はあなたを許しますよ」とかなんとか言わないのは不自然なので、河越太郎は京都に到着するまで綸命の内容を知らず、そんでもってなにしろ綸命なんだから藤原朝方をふんじばり次第吉野へ直行したはず。まあ手紙や使者ぐらいは鎌倉に送る余裕はあったかもしれないけど、つまるところ、五段目で河越太郎が吉野へ到着して一声発した時点で鎌倉にいる頼朝が義経を許す気になっている可能性はゼロ。 …っていう憶測は単に小谷野氏の短絡ぶりを指摘する傍証にしかすぎなくて、こっからが本題。「和解の暗示」論者に言わせれば、五段目のポイントは、「どこにも明言されていないにもかかわらず(←ここ重要)、あちこちに仕込まれた記号から、「頼朝と義経の和解」の主題がおぼろげに浮かび上がっている」ということ。
 もちろんこれ、表舞台では殺し殺されの派手な対決模様が進行してる裏で微かに感じ取れるタイプの主題であって、言い換えれば「和解の暗示」はどこまで行っても「暗示」だし、そこにとどめる事こそが作者たちの狙いなんだよね。だから小谷野氏みたいに、表舞台の殺し殺されも暗示の一言も置いてきぼりにしていきなり「和解で終わる」って断言しちゃったらそれこそ狙いが分かってないというか読めてないというかひょっとするとどっかで読みかじったか聞きかじったのをそのまま書いただけじゃないのって感じだし、それ以前に「義経千本桜」が戯曲であるという大原則を忘れて、「頼朝と義経の和解で終わるから、びっくりである」などと、あたかも舞台上に頼朝と義経が出てきて握手しちゃうよ大仰天、みたいに読めちゃう言い回しを用いることは、いろんな意味で間違ってるんだよ。
l) クラシック音楽界における古楽器演奏や編成のスリム化は一時の流行じゃないです(藝術的な成功不成功は主観にせよ、継続してるのは事実)
m) 人形浄瑠璃では昔から一段を複数の太夫で語り分けてます

※2013年5月17日付のhttp://d.hatena.jp/jun-jun1965/20130515では、著名な浄瑠璃サイト「音曲の司」中の一節から、「太夫の人数が増え続け、一興行で多くの太夫を出演させるために、また太夫の格や顔を維持するために、一段を更に細分して上演されるようになった。」を引用して反証(?)にしてるね。でもさ、『猿之助三代』では分担に藝術的理由を見出していないのに対し、「音曲の司」で基準の1つとして取り上げられた「格」という概念自体、とっても藝術的なものなんじゃないの? まあ、分担制のスタートは、太夫のそれにせよ作者のそれにせよ、質的(藝術的)・量的増大という興隆期ならではの現象が生んだものだという意味のことは、以前も鳥越文蔵を引用して言ったんだけどね。
 いずれにせよ、「音曲の司」とか鳥越文蔵が言ってるのは、太夫が増えると同時に戯曲もどんどん長くなっていった、言うなればパイの大きさもそれを食べる人数もどんどん拡大していった時代。それに引き換え『猿之助三代』の該当箇所、「太夫が多くなり過ぎたため、一人で全部語ると何も仕事のない太夫ができてしまうので、無理に分けた」っていう言い方だと、パイの大きさは変わらないのに食べる人数だけが増えたって感じだよね。やっぱり変だなあ…。
n) 四の切、澤瀉屋以外で宙乗り狐六法をやるのは当代海老蔵だけです
o) 猿之助は73年以降身内の襲名披露にしか出ない訳じゃないです

※2013年5月17日付のhttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515では「2000年くらいになると緩和される」とあるんだけど、91年の段階ですでに当代藤十郎の鴈治郎襲名披露口上に列座してるみたいですよ。まあいずれにせよ、『猿之助三代』本文において、「…年の誰々襲名公演まで」とか、あるいは「何年間ほど」などの期間を限定する表現がない以上、間違いは間違いです。
p) 七十すぎた女形が若い女を演じる例は以前からあります
q)「金鶏」の猿之助はちゃんと演出してます
r)「金鶏」の衣裳は歌舞伎の衣裳方が担当した訳じゃないです


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ぽわん:なるほどねえ。たぬきさんも執拗だなとは思うけど、小谷野氏の訂正http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130515は徐々に、あるいは一挙に増えるのかなあ?
たぬき:さあ、どうかな? 尚、「その2」のほうの「良弁杉由来」に関し、「2013年5月17日追記:小谷野氏ご当人の発言として「「良弁杉由来」を額田六福作と勘違いしたのは、サイニイで検索したからではなくて、まさにそこに出ている国立劇場公演を観に行って、「冬木心中」の方の作者である「額田六福」と「良弁杉」が頭の中で結びついてしまったからである。」とのコメントを頂戴しました。」の一文を追加いたしました。
posted by powantanuki at 23:03 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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