2013年05月14日

小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その1

新書の杜撰さは、どこまで許されるか


ぽわん:今日はたぬきさんがご立腹のようだね。わたくしは聞き役に徹しますよ。
たぬき:いや、立腹というかね、小谷野敦の『猿之助三代』にびっくりしたんだよ。
 氏の著作にありがちな「うわー皮相な解釈」とか「これって邪推以外の何物でもなし」みたいなのに辟易したっていうのもあるんだけど、そういう浅薄な主観こそ彼の著作のファンには好まれるらしいねえ。著者と読者の品格が釣り合ってるのかな? まあそういうのは基本的にスルーして、今回はいっぱいある間違いをひたすら指摘していこうと思うよ。ぽわんさんには長々と付き合わせることになるけどごめんね。
ぽわん:事実誤認が相当たくさんあるんだってね、この本。
たぬき:うん。実は出版直後に「十五代目中村歌右衛門」という、私たぬきなら筆を折りたくなるくらいの初歩的ミスで有名になったらしい(例えばhttp://theater-angel2.blog.so-net.ne.jp/2011-06-21)。それを含む著者自筆の正誤表がhttp://homepage2.nifty.com/akoyano/teisei.html#ennosukeだけど、それでは済まなかったんだねえ。まずはP17に、 成田屋は「成田山新勝寺の檀家である」とある。確かに縁は深いけど、正式な檀家だったことはないはず。成田屋はずっと芝の常照院の檀家で、九代目以降は神道に改宗したんだし。
 次。P38に、「同時代の事件を描くにも、「仮名手本忠臣蔵」のように『太平記』の中の逸話に仮託したり」とあるけれど、「仮名手本忠臣蔵」が初演されたのは、元禄赤穂事件の"同時代"ではない。知っての通りこの演目、四十七士にちなみ、事件から"47年目"として売り出したんだからね。
ぽわん:今から見れば同時代だけど、当時47年の開きは大きいからねえ。こういうのは、誰でもやりがちな、だからこそ気をつけなければいけないことだねえ。
たぬき:どんどん行くね。P38に「福地櫻痴も、今ではあまり知られない作者になっている」とあるけど、もちろんそんなことなくて、新歌舞伎十八番「春興鏡獅子」の作詞者として有名。「「鏡獅子」は有名だけどその作者は有名じゃないだろ」という反論が想像できなくもないけど、それなら初代二代の竹田出雲も三代目河竹新七も"あまり知られない"ということになり、歌舞伎作者は近松と南北と默阿彌以外全員"あまり知られない"ということになってしまうねえ。
ぽわん:著者にとっては、そうなんじゃないの?(笑)
たぬき:P60には「しかし荷風は、劇評はしても、戯曲を書くことはなかった」とあるけれど無論そんな訳なくて、現行のひとつ前の旧荷風全集・第12巻は、まるごと戯曲とシナリオ梗概だけでできてる。困ったもんだねえ。
ぽわん:ええと、これも著者にとってはそうだったとか?(戯曲を書いたとは見なさねえー、みたいな・笑)
たぬき:そこもか!(笑) P131の「九郎右衛門」は「九朗右衛門」ね。著者の正誤表から漏れてるよ。次、P132-3に「二十六年(中略)五月には寿美蔵が三代寿海(一八八六−一九七一)を襲名し、歌舞伎座での披露興行では、昼の「桐一葉」に父子で出て」とあるけど、これはいろいろと間違い。寿美蔵が寿海を襲名したのは二十六年五月じゃなくて二十四年二月。そんでもって東京での披露興行の「桐一葉」には、父は出てても子は出てない。夜の「黒塚」には共に出てるけどね。
 それから、P134に 「歌舞伎の台本を書いた戦後作家は三島だけであろう」とあるけれど、大劇場の劇作家をいっぱい輩出した長谷川伸の新鷹会系列が忘れられてる。池波正太郎・平岩弓枝あたりは書いてるよ。後者が書いたのが純粋な歌舞伎脚本かと言われれば微妙だけど、前者が書いたのはそう言って差し支えない。彼は安部公房とは1歳、三島と2歳違いだし。
 P141に「たまたま七代目菊五郎の周辺に人が集まったので、今でも「菊五郎劇団」と言っているだけらしく」とあるけれど、六代目死後、当代襲名までの名跡空白期間も、少なくとも囃子方や長唄連中はずっと「菊五郎劇団音楽部」を標榜してたし、役者たちの「六代目が残したものを守る」という結束もまた固かった。当代襲名時にたまたま人が集まった訳じゃないよ。P150には「大人になったら猿之助、功なり名遂げた隠居名が段四郎」とあるけれど、"助"が付く名跡は、本来は文字通り座頭を"助ける"立場にある役者のものだし、同じ意味で"郎"が付く名跡が隠居名であるはずがない。そもそも歴史の浅い澤瀉屋の名跡に法則性を見いだそうとしても無理があるんだよね。
 次は小さいやつをいくつか。P153 「三人吉三」に「きちざ」ってルビがふってあるけど、当然「きちさ」が正しい。P173「彦山権現誓助剣(毛谷村六助)」は変。(毛谷村)か(毛谷村六助住家)のどちらかじゃないと。あとP177に「近松作品で、一貫して歌舞伎でもよく上演されたのは「国性爺合戦」であり、せいぜい「心中天網島」である」とあるけれど、「吃又」も「俊寛」も「嫗山姥」も絶えず上演されてたよ。和事は改作の度合いが高いから近松の上演とは言いがたい面もあると思うんだけど、なんで次に挙げてるのが「心中天網島」なんだろ?そもそも江戸時代には近松の本領は時代物にありとされてたんだしねえ。
 続いて「「曾根崎心中」は近松の世話もの、心中ものの第一作だが、当時大ヒットした、などと書いている人がいたら、その著者は信用しないほうがいい」とあるけど、「今昔操年代記」とか「浄瑠璃譜」とかに見える「曾根崎心中」は当たったという記述を真っ向から否定するには何か深い訳があるんだろうから、その論拠が知りたいねえ。ちなみに「今昔操年代記」の該当ページはhttp://kateibunko.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/katei-jpeg/big/katei3/0905/09050017.jpgで、「浄瑠璃譜」はhttp://kateibunko.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/katei-jpeg/big/katei4/0921/09210004.jpgね。
ぽわん:ルビとか歴史的な事実とかについては、出版社の校閲の人達、何してたんだ、という気持ちにもなるねえ。
たぬき:いわゆる新書ブームによる粗製濫造の弊害なんだろうねえ、こういう杜撰な本が出回ってしまうのは。
ぽわん:自己弁護するわけじゃないけど、われわれのブログのような、無償でインターネットで書いているものと違って、本は完成形で出すものだ、という認識が、そもそも著者にはないんだろうねえ。でも、ネット上の記事とは違って、本って学生が教材的に使ったりすると思うんだけど、まあそれも著者にとっては「鵜呑みにするほうがバカ」ってことになるのかな?
たぬき:「web上で正誤表を公開している自分は正直」という論理があるらしいね、彼の中に。PCのアプリケーションで言えば、発売後に発覚した不具合にパッチを当てる、みたいなことなのかもしれないけど、すべてがデータから成り立ってるアプリケーションと紙である書籍とでは、初版で求められる完成度には雲泥の差があると思うけど。
 次いでP179 に「「義経千本桜」など、義経と頼朝の和解で終わるのだから、びっくりである」って書いてあるけど、そんな事ないよ! 佐藤忠信が兄の仇・平教経を討って終わるんだよー。そもそも「義経千本桜」全幕で一度も舞台に登場しない頼朝が、どうやって義経と和解できるのよ!!
ぽわん:ここ、わたしも今見てみたけど、「歌舞伎役者ですら、本行の全体の筋を知らないことがあって」とあるよ。もしかして歌舞伎役者が勘違いした話とか? だとしても日本語が変な気がするけど。
たぬき:えーとね、五段目に、頼朝と義経の不和は藤原朝方が仕組んだものだったことが判明するっていうくだりがあるんだけど、そこを取り出して「五段目において義経と頼朝の和解が"暗示"されている」みたいな、「千本桜」全体の流れから見れば少々偏頗な論があるのは事実なんだよね。それを鵜呑みにして、というか勝手に拡大解釈して「義経と頼朝の和解で終わる」になったのかなあ。だとすれば、明記してほしいね。「千本桜」を通読したことのない人に、それこそ鵜呑みにされちゃうよ。(その2に続く)
posted by powantanuki at 21:09 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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