2012年06月08日

豪華ならいいの??〜宮本亜門演出『サロメ』をめぐって〜

亜門演出は●×△天国?!

ぽわん:新国立劇場演劇部門2011-12シーズンのおそらく目玉であろう、宮本亜門演出の『サロメ』。たぬきさんの感想はどうだった?
たぬき:とにかく贅沢だったね。水を張った大掛かりな装置で血のりも多用して、人気作家・平野啓一郎の書き下ろし新訳だし、音楽は内橋和久の生演奏。キャスティングは山口馬木也とか植本潤とか「え?この人の出番、たったこれだけ? お隣の小劇場なら主役張ってもおかしくないのに・・・」みたいな豪華さだったし、麻実れいの紫色のドレスと奥田瑛二の赤いガウンが妙にヨウジヤマモトっぽいなと思ったら、実際あそこの衣装デザインだったし。
ぽわん:デザイナーに「具体名を出しちゃって恐縮なんですけど、ヨウジっぽいイメージで」なんて耳打ちしたりせずに(笑)ちゃんとお金を使っているという意味では、本物志向だよね。そのこと自体はいいことだと思う!
たぬき:ところが、そこで大きな矛盾なのが、他ならない亜門演出こそ本物志向とは正反対の、海外作家のコピー・パクリだって事なんだよね。相手が日本人だとパクリがバレちゃうから本人を呼んじゃえ!ってことなのか・・・
ぽわん:亜門がパクるっていうのはよく聞く話だよね。
たぬき:うん、二期会で演出したオペラ『椿姫』は、ヴィリー・デッカーの有名なプロダクションの焼き直しも同然だったと評判だよね。人物処理で言えば、デッカー演出の最大の特徴である、出ずっぱりの死の象徴=グランヴィル医師こそ居なかったけれど、「ヴィオレッタ&アルフレードvs.その他大勢」っていう絵面を作るのも、1幕のラストでアルフレードを舞台に戻しちゃうのも(声しか聞こえないのが普通。だってアルフレードはもう退出してて、バルコニー下方から声だけが聞こえてくるというのが台本の指定だもの)、2幕冒頭で本来は居ないはずのヴィオレッタを舞台に出してアルフレードとイチャイチャさせるのも、まんまデッカー演出。
ぽわん:まあ世の中にどれくらい、パクらない演出家がいるのかわからないけど、某『金閣寺』が某マルターラー演出の作品群のパクりっていうのはいろいろなひとが言っていることだね。言葉で類似を形容するのは簡単ではないんだけど、むき出しの床に大きく四角い独特の空間の囲み方。とくに『金閣寺』の後ろにドアがある感じとか、『ムルクス!』と、そっくりだよ。
たぬき:マルターラーってオペラの演出もやるよね。亜門って、オペラ演出に野心というかコンプレックスがあるのかな? 今回の『サロメ』でも「天井に45°の巨大な鏡」っていうのは、もともとオペラ演出家ギュンター・クレーマーの専売特許みたいなもの。デッカーとクレーマーと言えば、オペラ評論家の加藤浩子も、さっき言った亜門演出の『椿姫』に関し、「舞台上に、右上がりで大きく傾斜をつけた装置は、なんだかウィリー・デッカーのよう(新国の「軍人たち」を思い出しました)。会場であった某記者いわく、「デッカーとクレーマーをまぜたよう」。色彩感覚も、ドイツの亜流のようでした。」(加藤浩子の La bella vita(美しき人生))と指摘しているね。
ぽわん:色彩感覚がドイツ風なのは今回の『サロメ』にも言えることだねえ。それだけなら大した問題じゃないけど。
たぬき:まあ、いわゆるユーロトラッシュの連中も、お互いパクりパクられという感は否めないけれど(笑)、極東で人知れず一方的にパクってるというのは如何にもみっともないねえ。
ぽわん:え、つまりパクられるくらいのものを作れということ? そうしたらパクってもいいってこと??(笑)
たぬき:ふふふ、そこまで求めるのは酷だろうから(笑)パクり方、かなあ。例えば白井晃の舞台だって、ルパージュの影響をモロに感じるけれど、実際に彼はルパージュと共同作業したことだってあるし、少なくとも「僕はこういうのが好きなんです、こういう美学を追求してるんです」というのが伝わってくる。亜門の場合、とにかくあちこちから頂戴するばかりで、オリジナリティはもちろん対象への愛情も感じないよねえ。


きちんとした演技が見たい

ぽわん:じゃあ俳優というか、その舞台での在り方みたいなのはどうだった?
たぬき:そうねえ。今回、亜門は作品のバックグラウンドに関する座学をみっちりやったみたいだけど、その割に見えてくるものがなかったね。
ぽわん:あーでもああいうのは、俳優の共通認識を作るためのものだから、別に勉強したことがそのまま舞台に出なくてもいいんじゃないの?
たぬき:それはそうなんだけど、あの舞台を見ると、ほかにやることもっとあったじゃんって思っちゃうんだよ。たとえば今回のサロメで言えば、妖艶なファム・ファタルじゃなくて、無垢ゆえの残酷さを持つ少女という解釈はいいんだけど、多部未華子は、それを全くもって浅薄なレベルでしか表現できていない。
ぽわん:もっている資質に設定をあてはめた、以上の表現には達していなかったかもねえ。それは演出というより俳優本人の力量じゃなくて?
たぬき:うーん、演技プランを演出家と俳優がシェアすると考えれば両方かな。純粋さという名のアイドル芝居的ステレオタイプを表面的に繰り出すばかりで(こういうのがいちばん安直なんだよ)、深いレベルでの身体表現がおろそかだし、むろん台詞術も拙い。そういうサロメ像を意図したとしても、全編あの調子じゃ、もたないよ。それから例の「7つのヴェールの踊り」だけど、あんなショボい踊りを見せられちゃった日には、私たぬきがヘロデ王ならその場でサロメの首を刎ねてるね(笑)。
ぽわん:とほほ・・・。実を言うと多部未華子はいいものを持っていると思うんだけど、ちょっと今回の舞台はハードルが高過ぎたのかもねえ。あ、でも、演出的に言うと、銀橋みたいなのを使って、その上でサロメとヨカナーン(成河)の対話場面を作ったのは悪くないアイデアだったよ。
たぬき:あの対話がもっと心境の変化とかがわかる内容だったらねえ。
ぽわん:今回の『サロメ』は全体的に、対話というより登場人物が勝手に存在するという感じだったね。それは多分意図的で、あの作品ではアリなのかもしれないけど。
たぬき:奥田瑛二のヘロデ王は、例のナルシスト芝居のアクを抜くので精一杯という感じで、ドラマの人物になっていない。映像での仕事が多い俳優だからか、端的に言って舞台の位置取りとか台詞の振り方がなってないし、何しろ相当残忍な事をやってきた王なんだから、前半はくどいくらいに信心深さと死への恐怖を出しておかないと、後でなんでヨカナーンの首を欲しがるサロメをあれだけ嫌悪するのか、整合性が取れなくなるんだけどねえ。まあ、相手が舞台女優の麻実れいだから分が悪いのはしょうがないんだけど。
ぽわん:その意味で、麻実れいの美しさ、妖艶さは的確だったよねえ。娘と違って派手なんだけど女王の品格や余裕もあったし、サロメやヘロディアスに比べて台詞の量が少ないということもあったかもしれないけど、台詞運びも落ち着いてた。
たぬき:私見で言えば、麻実れいさまが踊ってくれたほうが、私はご褒美を弾んだよ。
ぽわん:でも、それじゃあ物語が変わっちゃいますから!


今、舞台と演出に求めたいもの

ぽわん:ともかくね、宮本亜門は、台詞の言い回しとか対話とか俳優としての佇まいとか、そういう演劇の根幹をなすべき部分の力量あるいは配慮が足りない気がするの。ダンサー出身だから、とはあまり言いたくないんだけど。それでもかまわない作品ならまだしも、やっぱりずっしりした台詞劇だと、つらいよね。
たぬき:これは正直な話、見た目のインパクト優先の舞台ばっかり褒める評論家がいちばんいけないと思うね。だって、それだと端的に言って役者が上手くならないんだよ。「時分の花の人+ほぼ天分だけでやっていけてる一握りの人」の組み合わせばかり見せられるのは、もうたくさんだ。
ぽわん:けどそれは作り手(制作とか演出とか)のせいでもあるんじゃないの。
たぬき:まあね。例えば蜷川とかつかさんとか(前も言ったけど、私たぬき、この人ばっかりはどうしても"さん付け"になっちゃうんだよね)は見た目のインパクト追求派と言っていいだろうけど、彼らはある意味で役者を使いつぶして来たよね。
ぽわん:おお! つぶしちゃいましたかね??
たぬき:実際に俳優としてつぶしたとまでは言わないけど、罵倒とか口立てとか、あの手この手を使って、なんとか時分の花を舞台でも咲かせようとしたわけだよね。でも、どちらも結局のところ、「熱演」というインパクトに落ち着いてしまう。それって、下手な役者を下手に見せないための当座凌ぎに過ぎなくて、演技者の成長には実はそんなに結びついていない気がするんだ。例えば1月の『下谷万年町物語』。藤原竜也を除けばいかにも能力に限界のある主役級の若い俳優たちを、蜷川がいかにボロが出ない形で格好をつけることに腐心していたことか。皮肉でも何でもなく感心しちゃったよ。
ぽわん:頭のいい俳優なら、そういう経験からも学んで自分で成長していくだろうけどね。まあ、集客力と演技力を併せ持った俳優が少ない以上、そこは今の日本では、演出家の力量として求められる、重要な条件だね。
たぬき:鵜山仁や栗山民也は、下手な役者を上手くすることが出来る演出家だよね。ぽわんさんは栗山のほうが好みかな?
ぽわん:栗山も視覚性重視だし、時々パクったりもするようだけど、強みはそれだけで終わらないこと。ちゃんと、主役を立たせつつ、アンサンブルも作って、全体としてのきめ細やかな演技を作ることができるんだよね。ここを若い演出家は見習ってほしいよ。あと、これは演出だけじゃなく劇作もやっているから、どういう力量なのか上がった舞台だけでは判断しにくいけど、ケラリーノ・サンドロヴィッチも、タレント使ってもけっこう違和感ないことが多いかな。鵜山は・・・プロダクションによるかな。
たぬき:鵜山っていかにもインパクト追求から遠いから、世間の評価は決して高くないんだけど、この人は生まれついての演出家だと思う。グランドデザインの立て方、役者の動かし方、個々のキャラクターのふくらませ方、どれもすごく的確で、見てて気持ちいい。特に、後者2つは役者が上手くなれるポイントだと思うな。
ぽわん:うわ、すごく褒めてる! じゃあそのうち、鵜山演出のたぬきさんの分析をうかがう機会を設けましょうかね。
posted by powantanuki at 13:18 | TrackBack(0) | 芝居の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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