2011年07月20日

反響を受けての感想、および、改めての立場表明

ぽわん:いやあ、前々回のエントリーで話題にした方々からいろいろな反応があって、面白かったね!
たぬき:ああいう方々は、我々のゲリラ戦みたいなやり口には超然としてるものだと思ってたよ。いや、それは当初そう思っていたというだけのことで、結果的に反応があったのはむしろ有り難いんだけどね! だからと言って、それこそ一部で"邪推"されてたように「けんかをふっかけることでかまってほしかった」訳じゃ全然ない(笑)。もともとこっちが話しかけたわけじゃないんだし。こちらが書いた人の中には、愚痴ったりアフォリズムもどきを吐いたりしてた人もいたね。
ぽわん:そうそう。公的な媒体に書いているんだから、演劇専門ではないにしてもプロの批評家の仕事の範疇だと思ってたのに、「趣味で舞台観て感想書いてるだけ」「僕という存在を、勝手に大きく見積もった上で(断っておくが僕の「影響力」など微弱なものだ)、引き下ろすという謎の二段階の行為をしている」なんて言ってる人もいて驚いた! 私たちだって、そこまで自他ともに認めるど素人だとわかってたら、批判の矛先も鈍ったかもね(笑)。
たぬき:それにしても「サブカル版岩波文化人」はヒットだったみたいだね(笑)。おかげでこっちのブログのアクセスワードは「岩波文化人」だらけ(笑)。そんな中、桜井圭介氏が直接話しかけて来たのは先のエントリーの通りだけど、実際、正面から反応してくれたことには、敬意を表したい!
ぽわん:さて、前置きはこのくらいにして、桜井氏からこのようにご返事いただいたので、前回同様、連名形式でご返事してみますか。といっても、論点は整理されてきたかと思うので、もうオウム返しみたいなことはやりませんよ。

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桜井圭介氏の質問へのご返事 2

 まず、大前提として書きたいのは、このブログは、開設当初から、二人の猫が「なんでこんな舞台が褒められるのか分からない」と感じた出来事に関して、率直かつ毒舌でくっちゃべりながら、考えたり検証していったりするというスタンスだということ。具体的に例証もしてはいますが、根本的に言うと、ニュートラルな文体だとか事実の積み重ねによる論証とかには興味がありません。その反対に、思いつくままにあちこち脱線したり具体例を挙げたり留保したり断言したりしながら話が転がっていく、要するに観劇後の演劇トークのノリで対象を考察しています。
 ですから、桜井氏から「印象」についての指摘があったとき、「なんで語尾にだけこだわってるんだろ。もっと無茶なこといっぱい喋ってるのに」と内心いぶかしく思ってました。もっと言うと、ただの揚げ足取りだと感じました。でもせっかく聞いてくださったので、敢えてそれに乗ってみたわけです。だから、おっしゃるように「論がズレる」のは、ある意味当たり前なんです。だって、こっちも「これってズレてるのになあ」と思いながらも、話に沿って論証とやらを試みたのですから。ちなみに、twitter上の関係を可視化するサイトなんて、その時点で初めてアクセスしましたよ(笑)。

 ところで、桜井氏は「事実」とか「根拠」とかというものにこだわっていますが、そもそもそれって、そちらが思うほど簡単に確定出来る、あるいは少なくとも当事者が他人に強要できる類のことでしょうか? 英米圏では、著名人が亡くなるとしばしば、それを待っていたかのように偶像破壊的な伝記が出ますよね。生前の「本人」に対する周囲の遠慮、ないし当人が強力な煙幕を張っていることが多いからです(念のため付け加えますが、我々のスタンスは、関係者への膨大な取材を必要とするその手の作業とは対極のものですから、これはただの例示です)。要するに、そちらが求めるレベルの「論証」を行うためには、周囲の遠慮やら本人の煙幕を突破する必要があり、そのためには我々が猫の身を捨ててあなた方の極近辺に潜入する覚悟がいるんですね。残念ながら、その手のフィールドワークをやるつもりは当方にはありません。よって、そちらが示唆する、いとう氏・宮沢氏から岡田氏までも含めた正確かつ詳細かつ赤裸々なサブカル裏面史を描く気も今のところ、ありません。
 「フィールドワークの準備もせずに批判めいたことをするな」という声が聞こえてきそうですが、我々にも思うところがあります。今さっき我々のスタンスを「思いつくままに」と言いましたが、それを尤もらしく言い直せば、「体験の集積に基づく勘」です。それを「論証不可能」と切って捨てるのは結構ですが、結論から言えば「どうぞご勝手に。でも我々の考えは揺るぎませんよ」としかご返事できません。「視点の数だけ事実は存在する」みたいな極端な相対論に組している訳ではありませんが、我々はチケットを買う観客席側から発言しており、結果「まさにその通り」「言いたいことを代弁してくれてます 」という反応もいただきました。ですので、以降は幾つか、これはお答えしたほうがいいだろうというところだけピックアップすることで返信といたします。

 ツイッターでもご指摘の「“お詫びと訂正”か“追記”か」ですが、「お詫びと訂正」に至るのは明らかな間違い、例えるなら「桜井氏は実は新劇もミュージカルも大好きでした。証拠もいっぱいありました」クラスの事実誤認が発覚した場合です。でもって、追記というのは基本的に、「そっちはそういうつもりなんだあ。でもこっちにはこう見えるんだけど」という箇所に関して、「ご本人はこういうつもりらしいです」と書いてもいいですよという意味です。例えば、「ある種の一派をなす人達が、わいわいと神輿をかつぐみたいに持ち上げていている印象があるんだよね」のところに「桜井圭介さんから『僕も佐々木さんも岡田さんも色んな人と色んな場所でツルみますが、グルになって(徒党を組んで)悪だくみ(笑)はしてませんよ』という指摘を頂戴しました。」と追記するとか。なお、我々としては「頻度とかその度ごとの正確なメンバー構成は知る由もないけれど、『ツルむ』っていう言葉を用い、しかもそれが似合っちゃう/こちらが『やっぱり』と納得できちゃう時点でそれは派閥」という認識なので、全体の論旨に変更はありません。だって、意見の合う人同士とはいえ、なんでそこまでいつも仲良しなんだろうなあ、ぶつかりそうな意見・本音は言わないという暗黙の了解でもあるのかなあ、なあんて、一緒にブログをやりながらも実は芝居毎にしょちゅう意見が割れている我々2匹としては、勘ぐっちゃうんですよ(笑)。

 それから、「ダンスや演劇の一部だけを愛して、あとは興味なし」のくだりで、我々が「鬼の首を取ったつもりなんだろ」といったことをおっしゃってますね。何度も言ってますが、我々は今回俎上に上げた人々に何の下心も抱いておりません。また、ありとあらゆる公演を網羅しろとも言っておりません。ただ、一般論として、「これって視野が狭いな」と感じる意見を目にする度に「こういうこと平気で書ける人は、きっといろんなジャンルを見ていないんだろうなあ」と思ってしまうのは事実です。いわば、お書きになっているものや褒めておられるものに感じるパースペクティヴの問題です。あと、twitterに必ず書くとは限らないのはよくわかりますが、我々はツイッターヘビーユーザーじゃないけど、日常的に感じたことを頻繁につぶやいている人を観察するに、すごく良いと思ったら書きたくなるのが人間の心理かとは思いますけどね。

 ついでに言うと、下北沢云々はどちらかを持ち上げてどちらかを貶めるつもりはないですよ。そちらのクラブカルチャー〜の質問に答えただけのことで他意はないです。「クラブカルチャー的なところ」という言葉は、そういう共通点があるという以上の意味はありません。そのことに、どういう"さらなる意味”があるかは、文章全体から読み手各人が推して知るべし。ご指摘の通り、日本語における「〜的」という表現の適用範囲のやたらな広さに対してははっきり自覚して用いております。そういうのは会話体ならではの融通無碍なところです。

 あと、「『ダンスをこれまでと違うコンテクストで語ってきた』らなぜその後『演劇方面にアプローチ』することになっちゃうんでしょうか?その『根拠』がわからない(笑)」と仰ってますよね。釈迦に説法ここに極まれり、みたいな感じで申し訳ないですが、「ダンスならざるものにダンスを観るあるいはその逆」の第一人者である桜井氏が「演劇なのにダンスが見えるものあるいはその逆」が増えてきた昨今のシーンへ親近感を覚えるのは当然、みたいにパラフレーズすればよろしいでしょうかね。あ、蛇足ながら、ここでいう「ダンス」の定義が広いのは、他ならぬ桜井さんなのでご理解いただけると思います。

 次に、手段と目的の話。「僕には、さんにとって『演劇、ダンスが手段になっている』ということを裏付ける証拠た得る記述は見当たりませんでした」に関してですが、我々の主張をこの点に即した形で再構成すると「いい年した中年がこんなにくだらない演劇に感動する(=目的になる)ってことはあり得ない。ということは例によって新たな飯の種(=手段)を見つけて喜んでるのに違いない」です。もちろん彼が本気で楽しみつつそれを飯の種にしている可能性は否定できません(我々には信じ難いことですが)。その意味で桜井氏のおっしゃる「人が何かする時に『それが無私、無欲なのか打算があってのことなのか』という話はゼロか100かというふういは出来ないし、『手段か目的か』というのも、そう簡単な話じゃないと。そして、それは端から見てて分かるようなわかりやすい話じゃないよ」というのは、一番大人なご意見ですね。あとそれから、桜井氏の「ダンスに実存を仮託してしまう」という言い回しに、今さらながら「ああそういえば桜井氏は美学者だったのだなあ」という感慨を覚えましたが、でもそれって結局「桜井圭介なる主体がダンスという現象をmeansとした思考の旅をするうちに、辿り着いたendは己の実存だった」ってことじゃないですか? 「手段means」と「目的end」という大枠自体は変わらないように思います。

 最後に、powantanukiに関して誤解があることが分かりました。powantanukiとは、「1つのブログと1つのtwitterアカウントによる言語表現の総体」です。それゆえ、「あなた方と何の利害関係もない」のは自明です。審級が違うのですから。それにしても皆さん、「powantanukiアカウントのパスワードを知っている1人ないし複数の人物」の「正体」ばかりが気になるみたいですね。そっちも利害関係はありませんが、これは信じていただく以外にありませんね。顔や所属や住所といったことを抜きにして文章だけで存在するところに筆名の意味があるんだし、現にこうして議論し合えてるんですからそれでいいじゃないですか。

 我々の主張の底にあるものが、利害関係でも悪意でもなく「演劇を愛する故のもどかしさ」だと喝破してくださった方がおりました。我々はそういう方がいる限り、これまでのようにブログを続けます。

ぽわん&たぬき
posted by powantanuki at 23:46 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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