2011年04月21日

大絶賛が気持ち悪い!? 柴幸男 ままごと『わが星』

『わが星』・・・なぜ評価されたのか

ぽわん:
今、話題の柴幸男『わが星』。私もたぬきさんも初演は観てなくて、今回の再演を観たんだけど、ぜんっぜん感心しないってことで意見が一致したんだよね。で、じゃあ褒めている人たちはどう評価しているのかをまず検証してみたいの。
たぬき:将を射んと欲すればまず馬を射よ、って奴かな?
ぽわん:そうかも(笑)。まず、2010年の岸田國士戯曲賞。選考理由を読んでみると(全文はこちら)、けっこういろんなものが見えて来る。まず、岩松了は「無常観すら感じさせるその筆致は、A・キアロスタミの映画を観るよう」と褒めてもいる一方で、「ちまちました家庭劇もどきが横行してきた演劇シーンに、ひとつの爆破装置を仕掛けたという意味でも評価できる」というふうに、最近流行の小さな物語を、その小ささから出発して宇宙的な次元へ広げたことを評価したいという感じが見て取れるね。野田秀樹は独特の言い方で褒めつつ「積み上げられた悲しみではなくて、ただ寂しさ」としており、現段階では評価するけど今後については保留、みたいな感じで言い淀んでる。宮沢章夫は「この数年の潮流から、また異なるテイストを携え、ある切断を本作品がもっとも顕著な姿で表現」「世界を、人類を肯定する前向きなメッセージはへたをすれば陳腐なものになった」のに「ヒップホップの方法論を持ちこみ、□□□(クチロロ)というブレイクビーツ・ユニットの音楽も果敢にとりこんだ「建設的」なアプローチは、いわゆる現代口語演劇を再構築した」と、手法を褒めている感じ。
たぬき:キアロスタミと似てるのは、素人を使うのが好き、反復が好きってくらいでなーんの共通点もないと思うけどね。野田は他より光るものがあるから(つまり比較の問題で)推すってだけみたいだね。宮沢章夫は本質が読めないただの新し物好きだ。
ぽわん:宮沢章夫は自分が新し物好きの少数派だと思ってたのにみんなが推してびっくり、みたいなことを書いてるね。続きだけど、永井愛は宇宙規模と個人規模を重ねる立体構造を褒めつつ、「人物の会話は平板で物足りない。これが意識的なことなのか、このような描き方しかできないのかという疑問は最後まで私を迷わせた」と言っているし、坂手洋二は「失礼を承知で言えば、他の候補作との関係では、一種の消去法で一番まともに見えたというのが本当」とけっこうはっきり言っちゃってるし、鴻上尚史に至っては「ソーントン・ワイルダーの『わが町』の感動をかなりの部分、借りているのではないかと感じて、乗り切れませんでした」と告白しているね。
たぬき:歴史は、おおむね否定派のほうが正しかったことを証明するんじゃないかね。鴻上の意見にうなずく人も多そうだ。
ぽわん:つまり、みんな諸手を上げてっていうより、いろいろな趨勢やら何やらを考えた上で選んでいる印象なんだけどどう?
たぬき:新人賞って、岸田戯曲賞に限らず豊作の年なら複数出すし、不作の年も最低一人は出してあげましょう、ってのが最近の主流みたいね。今このために過去の受賞者を一通りチェックしたけど、皆さんまあ受賞後もそこそこの成功を収めているようでご同慶の至りだ。とはいえその後メジャーになる後押しになった受賞者もいれば、「今更受賞? しかもこんな出来の悪い作品に?」ってのもあっていろいろだねえ。
ぽわん:『わが星』の時は上演を観たんじゃなくて戯曲だけ読んだ審査員が多かったみたいだね。


ほんとに生と死をみつめている??

ぽわん:で、ここからが本題。今回の再演も、読売新聞は「2010年代の新たな段階に進んだ演劇が、ここにある。(塩崎淳一郎)」って感じで大絶賛。
たぬき:新聞記者なんて、常にこれが最新流行だ!って騒がないと飯の食い上げだからね。
ぽわん:でもどこが新たな段階なんだろう? 正直、ぜんっぜんイメージできないけど、たぬきさんわかる?
たぬき:幼児退行っぷりがいよいよ舞台表現としての限界に近づいた、ぐらいかね正直。
ぽわん:反復の効果についても指摘されているみたいだけど、その反復が意味をなさない・広がらないんだよねえ。世界観にしたって、宇宙規模と個人規模を組み合わせる発想自体、下敷きにしているソーントン・ワイルダーの『わが町』がやっていることなので、新しくない。神話的世界/現実世界、具象/抽象がないまぜになっている世界はわたし基本的に好きだけど(『わが町』も好きだし)、『わが星』は数ある名作戯曲のあとに生み出した現代の戯曲なのに踏み込みが浅い。しかも、それが全部、ちいちゃん(ちい=地球)という女の子の「ままごと」になっているのがズルイ!
たぬき:「ままごと」って、文字通り炊事とか食事の真似事のことなんだよ。そのくせこの作品では人間の食欲さえちゃんと描けてない。三大欲求のうち、この作者がなんとか書けるのは睡眠欲ぐらいで、性欲なんてもちろん書けやしないと思うね。そのくせボーイ・ミーツ・ガール物語には頼るんだから情けない。ちなみにこの『わが星』って作品がボーイ・ミーツ・ガールでオチを付けることに、天文部のエピソードが最初に出て来た時点で気づかなかった人は、顔を洗って出直したほうがいいよ。
ぽわん:そうそう、そういうセンチメンタリズムの強さもちょっといやだったな。かつての劇作家にもセンチメンタルな人はいたけど、ダイレクトに出すことには抵抗を感じて隠していたり(でもほの見えちゃうところが良かったり)、もう少しひねって見せたりしてたと思う。でもこれはすっごく、そのまんま。しかもさらさら〜っと軽くて、まさに幼い感じなの。例えば、前述のちいちゃんが月ちゃんとままごとをするっていう形で人生の四季がスピーディーに描かれるけど、泣いている人の多くは、自分の幼少期の思い出や、人生で果たせなかったことを考えたんじゃないかと私は感じた。まあ、そのひねりのないところが、多くの人の共感を呼ぶのかなとは思うものの…
たぬき:本来イノセンスって、人生に傷ついた人間が最後に辛うじてすがるものなんだけど、最近は傷つくのが嫌なガキどもが最初っからイノセンスに閉じこもってるって感じがする。「セカイ系(念のため書いておくと、個人の危機がなぜか世界の危機と同一化するというエヴァンゲリオン以後の風潮ね)」が流した害毒だよ。
ぽわん:すっごく内向きなんだよね。『わが町』は町を描くことがそのまま宇宙につながっているわけだけど、『わが星』の場合は、私たちの星/家を慈しんでいますうううっていう印象。
たぬき:いい年した男女がお手々つないで円になって(=閉じて)ダンスだからね。大体、あのおゆうぎ会そのまんまの振付は何なんだろうね。どうしてあんなので金取ろうなんて思えるんだろ。
ぽわん:でもまあ、内向きな世界なんだから、急に“巧い”ダンスを披露されてもちょっと違和感。
たぬき:そうかなあ。役者以前に人間として恥ずかしくないのかね。「おかあさんといっしょ」じゃあるまいし。それに、だいたい平田オリザの影響下にある演出家って、揃いも揃って女優にカマトト芝居させるんだよね。気持ち悪いったらありゃしない。
ぽわん:ううむ、そこに関しては私は特に賛同しないかな。だいたい、『わが星』は幼児の世界なので、ある意味徹底されているんじゃないかな。幼児の目を通して生と死をとらえたという・・・。『わが星』が支持される理由の一つに、生命讃歌があると思う。「人生はいつか消えてしまうからこそ、愛おしい」みたいなところを、柴幸男はすごく身近なレベルで書いたんだよね。ただ、残念なのは死を本当に直視しているようには見えなかったこと。
たぬき:私たぬきが人生で最初に死を意識した幼稚園児の時、その心象風景は卒塔婆とサンドストームが入り混じったようなとても怖い光景だった。とてもじゃないけど「人は死んだら星になる」みたいなファンタジーの介入する余地はなかったよ。『わが星』が奇麗事に終始してるのは言うまでもないけど、この作品が人生の本質を突いてるという意見には断固として反対しないわけにはいかない。
ぽわん:言えてるなー。少なくとも、この作品を絶賛しているひとや泣いたと言ってはばからないひとは、これが奇麗事だってことは認めるべきだね。


「右へならえ」で褒める風潮への違和感

ぽわん:それにしても本当に、『わが星』への評価は大絶賛だね。なんか、ネット上でも好評ばかりで、けなしにくい雰囲気じゃない? みんなが同じように「感動した!」って言っているのは、まあ本心からなんだろうけど、影響受け過ぎ? 付和雷同というか全体主義みたいで気持ち悪ーい。中には『わが星』は『わが町』よりスケールが大きいなんて意見も見たけど、冗談じゃないな。「町」と「星」だからそっちのほうが大きいなんて言うべきじゃないよね。神は細部に宿るんだよー!? まあそれはともかく、ワイルダーの『わが町』には、多様な人間や多彩な価値観が描かれているし、登場人物に血が通っている。にもかかわらずそれが宇宙規模に結びつく点にすごさがあるんだよ。一方、『わが星』の登場人物はぜんぶ、作者が言いたいことのシンボル、記号でしかなくて、つるんとしている。まあこれについては、作者も自覚しているだろうし、『わが町』とのスケールなんてことを言った第三者を批判してるだけなんだけどね。
たぬき:『わが星』が『わが町』よりスケールが大きいって感じた人にとっては、たぶん子供銀行の一億円札とか百兆ジンバブエ・ドルとかのほうが日本銀行の一万円札より価値が高いんだよ。そっちのほうが数字が大きいってだけで。信頼性とか考えないんだよ。
ぽわん:辛辣ですね、たぬきさん。
たぬき:物事に正直なだけだよ(笑)。
ぽわん:ちなみに、私の友達(ねこじゃないひと)二人が口を揃えて「幼稚な文系男子の夢物語」みたいなことを言ってたけど、文系男子のたぬきさんはその指摘をどう思う?
たぬき:まあ確かに、柴幸男が相対性原理のことをなーんにも知らないってのはよく分かるけど(笑)。
ぽわん:相当、ナイーブな作品だもんねえ。でも不思議なのは、若者だけじゃなく、いい年したおっちゃんも褒めてるってことだね。佐々木敦とかいとうせいこうとか。まあどっちも演劇のプロじゃないけど。
たぬき:ただの新しがり屋どもは後年恥をかくことになるだろうね。賞味期限の極めて短い表現って要するに一発屋のお笑い藝人と同じという事実から目を背けてほしくないよ。いわゆる助成演劇は賞味期限の引き延ばしに寄与してるみたいだけど。そういえば、この作品を岸田國士戯曲賞に推した一人である宮沢章夫は再演で初めて生の舞台を観て、なんとも歯切れの悪いtweetを残したね。「ある種類の人にとって受け入れがたいものも感じ」とか「僕も、いやなものを感じたかもしれない」とか。ただ、それに続く「しかし、すーっと私のなかに入って来たのは、演出する柴君の資質と、だからこそ生まれる表現を肯定できたからだ。」というのは自己撞着。「肯定できた」っていう言い回し自体が己の中での葛藤を表してる訳で、それと「すーっと私のなかに入って来た」という表現は矛盾している。
ぽわん:迷いながら自分を説得している印象だよね。
たぬき:なんで彼がそういう言い方をしてるかと言うと、「ある種類の人にとって受け入れがたいものも感じ」と彼が書く時、宮沢自身の中に確実に「ある種類の人」が存在してるからだ。そしてその存在を抹消しなければならないのは、それを認めてしまうと、その作品に賞を与えた自分を否定する、つまり「私は戯曲から実際の舞台成果を想像できない無能な人間です」と告白してしまうのと同義だからだ。
ぽわん:そう考えると、“自分は納得していないけど、今後に期待!”っていうようなことを書いた鴻上尚史が一番真っ当? わー、鴻上に共感する日が来るなんて思わなかったなあ(笑)。
posted by powantanuki at 03:13 | TrackBack(1) | 芝居の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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2011.4.30/ままごと「わが星」 at 三鷹市芸術文化センター 星のホール
Excerpt: ままごと・柴幸男の出世作「わが星」を観てきました。チケットが当日券も含めて全てソウルドアウトは言うに及ばず、WEB上のレビューはほぼ絶賛一色。近年稀に見る高い評価を受けて ...
Weblog: こんな舞台を観てきました―johnnyの観劇記録
Tracked: 2011-05-10 01:11
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