2011年03月28日

つかこうへいの遺したもの〜NHKのドキュメンタリー『つかこうへい よみがえる伝説の舞台』&アル☆カンパニー『冬の旅』に思う〜

つか芝居の「口立て」の持つ意味は?

ぽわん:この週末にNHKのドキュメンタリー『つかこうへい よみがえる伝説の舞台』と、アル☆カンパニー『冬の旅』を観て、ちょっと思ったことがあるんだけどね。
たぬき:もうすぐ、つかさんの一周忌だ。早いねえ。
ぽわん:ぽわんはつかこうへい作品や、それ以後の小劇場芝居も好きなんだけど、今日は敢えて、そこに存在する問題点を考えてみたいんだよね。というのも、早口でまくしたてることがある種の陶酔感を作っていったのは、ぽわんも観客で体験していて、否定しないんだけど、そこで演技の限界が生まれたとも思うの。
たぬき:実はわたし、こと、たぬきも『熱海殺人事件』を演ったことがあるんだけど、あれは気持ちいいもんだねえ。
ぽわん:うん。演る側にも観る側にも麻薬みたいなものがあるのが、つか芝居の特徴だよね。でも、麻薬には依存性と副作用があるでしょ。それが今の演劇界を貧しくした面もあるんじゃないかしらん。つまり、つか芝居は面白かったけど、流行してそういうのばっかりになっちゃったことの功罪。主に思うのは、俳優なんだけど……。
たぬき:基本的に技術が要らないからね。「俺を見ろ! 俺が芝居だ!」というナルシスティックなテンションだけで保たせるというか。
ぽわん:まあ、ある種の技術というか体力・瞬発力みたいなものも必要だとは思うけど、俳優としての基本スキルをすっ飛ばしている印象があるかな。たとえば、つか自身が自ら台詞の言い方を実践してみせる、有名な「口立て」があるよね。あれは、台詞回しはこうあるべき、というものが確立されていない日本ではある程度有効というか、そうせざるを得なかった部分もあると思う。蜷川幸雄も稽古場では台詞を自ら言って聞かせるそうだし、つまり、そうやって手取り足取り教わらないと、芝居としてちゃんとまとまらない、という事情があったんだろうねえ。ただ、あれは俳優から、考えることを奪うとも言えるかもしれない。
たぬき:ふむふむ。
ぽわん:平田オリザはNHKのドキュメンタリーで「つかの登場で、戯曲は俳優のためにあるということに変わった。それを引き出すためには口立てはものすごく有効だった」みたいなことを言ってたの。でも同じ番組で小西真奈美が、いみじくも「つかさんが演じるのが一番面白い」と語っていて、納得したなあ。つまり、つか芝居での“俳優の魅力”とは、つかこうへいの代弁者になること。現場で即興的に作るとは言っても、作る主体者はつかなんだし。
たぬき:つかさんの芝居は、差別される人間だけが持つことの出来る輝きが身上な訳で、それはつかさん自身にとって一番切実なテーマだった訳だからね。つかさんが役者に考えるスキを与えないような台詞回しを要求したのは、ひと言で言って役者に精神的に裸になってもらいたかった訳だけど、その上に着せる衣装は、大音量の「白鳥の湖」とか原色の照明とか、案外ワンパターンではあったね。
ぽわん:つか本人もワンパターンであることは認めているね。もちろん「裸にする」ことでその俳優の新たな魅力が、つかというフィルター(プレッシャー?)を通して出て来るのは確かで、つかや遊眠社、第三舞台といった、いわゆる小劇場演劇の、早口でまくしたてるエネルギーは、追い込まれた俳優のエロティックな魅力とか、ある種のテンポを俳優の中に作ることには成功した。筧利夫なんてその成功例だし、阿部寛みたいにタレントでつかのおかげで成長したひとも。最近ではチョウソンハもその例に挙げてもいいのかな? みんな魅力的だけど、でも、メソッドはメソッドでしかない。劇団四季の発音ってすごく変だけど、平幹二朗は今でも浅利慶太に感謝の念を述べているし、実際、台詞回しはすごくいい。でもみんなに当てはめることはできないのかも。
たぬき:つか芝居ってのは本来、要するに音楽で言えばパンク、絵画で言えばアクション・ペインティングみたいな、ひとつのジャンルが技術偏重になった際に必ず起きる、ある種の先祖帰りなんだよね。そのパンクだって、今や「青春パンク」とかの人生応援歌になっちゃったらしいけど、ただ、件の劇団四季の朗唱術はじめ、テクニック一般がひどく欺瞞的に思えちゃって、そういうのをチャラにしないと気が済まなかったという時代があったという面と、逆に言えばその時代は若者文化がヘゲモニーを握った、要するに若者特有の性急さがすべてに優先したという2つの面があると思うんだ。だから、もはや中年に差しかかった我々ゆえに、技術云々が気になり出しただけなのかもね。
ぽわん:わたしはまだ中年に差しかかっていませんっ! ともかく、パンクとしての機能よりもメジャーになってしまい、演劇人たちに多大な影響を与えているからこそ、その功罪に目を向けているわけで。それに、韓国の観客に今ひとつ受け入れられなかったのは、中年とかそういう問題じゃないと思うんだけど、どうなの?
たぬき:それはやっぱり言葉の問題じゃないのかな。つかさんにとっても韓国公演の失敗が持つ意味は大きかったみたいだけど、90年代以降の野田秀樹の演劇活動は、夢の遊眠社イギリス公演の挫折を考慮しないと分からない面があるし、ランゲージ・バリヤーって、島国日本にいるとなかなか実感できなんだよ。
ぽわん:でも、それを言うなら、言語感覚の違う日本の若者世代にも、通じないかもしれない。となると、つか的世界は古いのに、作り手・演じ手には多大な影響を与え続けているというのは、一つの矛盾じゃないかなあ?


つか芝居の負の遺産!?

ぽわん:やっぱり、何が気になるかっていえば、つか的な演技が未だに演劇界で尾を引いている気がすることなの。つまり、考えるよりも先に勢いよく台詞を叫ぶのがうまい俳優はいても、じっくり考え、冷静かつ豊かに話すことができる俳優って圧倒的に少ない。まあ、それをつか芝居と完全に同一に考えるのはおかしいかもしれないけど、あのね、こないだアル☆カンパニーの『冬の旅』を観たんだけどね……。
たぬき:ご存知、つかが生んだ俳優夫婦、平田満と井上加奈子のユニットだね。
ぽわん:この『冬の旅』は松田正隆が書いたものなんだけど、「語り」にすごく力点を置いているの。ぽわんはアル☆カンパニーがけっこう好きなんだけど、この語りがうまくできていなかったの、平田満も井上加奈子も。
たぬき:井上加奈子は長く患ってらしたから、ちょっと厳しいかもしれないけどね。
ぽわん:でも平田満も、だよ。素敵な味わいのある俳優なのに、じっくりと台詞を聞いていられるタイプの俳優じゃないんだなあと、ちょっと意外にすら感じた。もっと短い台詞の応酬なんて、アル☆カンパニーでも二人とも上手かったと思うんだけど、やっぱり、長ーく語るとなると、この二人でも聞いててしんどいんだなあと思った次第なんだよね。例えば、長く語る際、本当の意味で台詞術みたいなものがしっかり身についていないと、抑揚をつけたりじたばたと動き回ったりして、余計に集中して聞くことができないというか、静かに地に足をつけて語るということの難しさを、観ていて実感したよ。
たぬき:今でもやっぱり、引き出しをいっぱい持ってる新劇畑の人はしゃべりが上手いよ。
ぽわん:だけど新劇の集団は今や風前の灯火だし、新劇の世界でも若い俳優はヘタだよ。そう考えると華が重要というのは事実なんだけど、それを重視する余り、技術の備わることがなかったという残念な俳優が今、新劇にも多いかも……。
たぬき:声楽家と同じで、体が楽器みたいな面は間違いなくあると思うんだ。安物の楽器だと絶対に良い音が出ないのと同じでね。
ぽわん:でも、良い楽器もメンテナンス次第じゃん。
たぬき:そうだね。でも小劇場にせよ新劇にせよ、やっぱり役者として長く成功するためには素質の占める要素は大きい気がする。そう言う意味では、つかさんはいわゆる時分の花を最大限に利用したんだね。
ぽわん:ある意味、客が呼べる俳優を主役にすることばかり重視せざるを得ない日本の演劇界自体が、時分の花しか使えないのかも……。
たぬき:全くだね。ちょっと上手くなり始めた頃には呼ばれなくなるという。
ぽわん:ドキュメンタリーではつかが「F1をみんな観たがる。車庫入れのほうが難しくてもそれを観る人はいない」と言っているけど、車庫入れを面白く観られることが、今、必要なのかもしれないよ。今の発言は98年の韓国公演の会見での発言だけど、その韓国公演では「面白いけど散漫だ」みたいな反応が多くて、これは本質的。日本ではそれがむしろいい、といった感じで一世を風靡したけれど、もう限界に来ているのかもねえ。
たぬき:でも、唐の亜流も野田の亜流もほとんどいなくなっちゃったけど、つかさんの亜流だけは未だに盛んなんだよね。
ぽわん:それはきっと、唐も野田も一応現役だけど、つかこうへいが最後のほう、完全な意味での新作を書けなかったせいもあるかな?
たぬき:つか芝居のスペクタクル性は大劇場にも応用出来るからというのと、今の演劇界の中核がつかさんの衝撃をまともに受けた世代だという2つの理由なんじゃないかな。
ぽわん:でも後者については唐・野田もそうなんじゃないの?
たぬき:唐さん世代は今や引退気味だし、野田さんのバタバタ走って言葉遊び連発、というのは彼のトレードマークになりすぎてて、今やるのは恥ずかしいんじゃないかなあ。
ぽわん:恥ずかしいというより、できる人があまりいないとも言えるのかな?−−ところで、なんでたぬきさんは、ほかの劇作家は呼び捨てなのに、「つかさん」って言うの?
たぬき:わたし、こと、たぬきみたいなしがない猫にさえ"さん付け"させてしまう、そのくらいつかこうへいという存在は大きいんですよ……。
ぽわん:野田秀樹&鴻上尚史に影響を受けたのかと思ってたけど。
たぬき:野田みたいに飛び跳ねるのは無理だけど、正面向いて身の上話を滔々と喋るのはそんなに難しくないと感じてた。鴻上は、たぬきに言わせればつかの亜流です。
ぽわん:つまり、野田はちょっと異色で、でもつか芝居は頑張れば手が届きそうな気がして、親しみが持てたってこと?
たぬき:というか、頑張る必要すらなくて、単に体力との戦いだった。野田は異能の人って感じだったけど、つか芝居は誰にでも出来る気がした。
ぽわん:つまり、確固たる演技メソッドがなくても、それをやれば達成感と陶酔が持てた。その快感みたいなものがみんな忘れられなくて、演劇界に今でもつか信奉者が多いのかなあ?
たぬき:そうだね。誰でも15分だけはスターになれるというやつだ。正確に言うと「誰もが15分だけは有名になれる」byアンディ・ウォーホル、だけど。
ぽわん:みんなスターになりたいってこと? 確かにスター芝居も楽しいよ。でも、アンサンブルの妙や台詞そのものが浮き上がってくるような職人芸も、わたしはたくさん観たいんだよね。つか的な呪縛は、いつ解けるんだろう……?
たぬき:ぽわんさんもそろそろ大人だねえ。
ぽわん:ちょっ! さっき、中年って言ったじゃんか!!
たぬき:中年は憚られるので大人にしてみました(笑)。
ぽわん:ふーんだ。「中年」だの「大人」だのじゃなくて、呪縛のない「若者」に期待するかなあ……。
たぬき:つか芝居は、端的に言って、俳優教育で言う「感情解放」の段階で敢えて止まったものと言えるのかも。だから、そこから先に行くことが必要だね。
ぽわん:さて、いつごろ、どういうかたちで実現するかなあ? ゴドー待ちみたいにならないといいなあ。

posted by powantanuki at 19:30 | TrackBack(0) | 芝居の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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