2013年05月14日

小谷野敦『猿之助三代』のびっくりな内容その2

事実にこだわらない読み物のための「事実」!?


たぬき:さてさて「1」の続きですよー。ぽわんさん、もうちょっと付き合ってね。
 今回は基本的に事実誤認しか言及しないことにしてたけど、P184-5の 「復活上演や通し上演は、ちょうどクラシック音楽における、十八世紀の古楽器での演奏や、小編成での演奏が、アルノンクールのモーツァルトのような例外を除いて成功、継続しない」は、あまりにトホホ度が高いので触れておこうかな。日本を含め世界中どこでも古楽器演奏は相変わらず継続して盛り上がってるし、モダンオケでさえ、古典派を演奏するときは弦楽器の数を思いきり削って演奏するのが普通になってる。演奏はもちろん録音だって、かつてのメジャーレーベルが過去の音源をまとめて投げ売りするばかりの中、新譜としてはいちばん勢いのあるジャンルだよー、と指摘しておこうかな。それが藝術的に成功しているか否かは、例えば近年の録音で言えばミンコフスキのハイドンやシューベルト、ブリュッヘン2度目のベートーヴェン交響曲全集あたりを聞いても「不成功」と感じるのなら、ああそうですかとしか言いようが無いね。私たぬきはどれもすばらしいと思ったけれど。
 P186。「義経千本桜 河連法眼館(四の切)」に言及しつつ「人形浄瑠璃を観に行くと分かるが、一つの段が、途中で、太夫と三味線が交替するので、「序」「中」「切」という風に分けるのだが、これはだいたい、太夫が多くなり過ぎたため、一人で全部語ると何も仕事のない太夫ができてしまうので、無理に分けたもので、別に藝術的理由で分けているのではない。」とあるんだけど、ここはなかなか傑作だねえ。江戸時代からずーっと、一つの段の端場と切場で太夫が交替するのは当たり前。そもそもここで話題になっている「四の切」からして、初演時すでに竹本錦太夫→竹本政太夫→竹本島太夫の3人で語り分けたんだよね。だのに小谷野氏曰く「一人で全部語ると何も仕事のない太夫ができてしまうので、無理に分けたもので、別に藝術的理由で分けているのではない」か、はあ…
ぽわん:ええと、これはきっと思うところあって書いているんだろうと考えると、もっときちんと根拠を挙げてほしかったところだねえ。
たぬき:うん、古浄瑠璃はどうやら一人で語られてたらしい。もしそれと比較してるのだとするなら、一段を語り分けるようになったのは、「藝術的理由」以外の何物でもないよ。鳥越文蔵の言葉を借りると、いわゆる三大名作が完成した所以は「太夫・三味線弾き・人形遣いの人たちに人材が揃っていたということになる。名人・上手が沢山いると、それぞれの幕が充実する。いきおい各幕が長くなる。一人の単独作では、全体を統括することがむずかしくなり、分担執筆すなわち合作となっていった。作者にも名作者が何人もいたために合作制が考え出され、演技者と協調して操り浄瑠璃全体を隆盛に導いたのであろうが、鶏と卵と同様、どちらが先かは判然としない」のだからね(引用はhttp://www.keenecenter.org/sen/bunzo_torigoe_japanese_text.pdfから)。
 次は比較的小ネタ。P187に「猿之助がやるようになってから、宙乗り狐六法ばかりになって」とあるけど、澤瀉屋以外で宙乗り狐六法をやるのは、当代猿翁に教わった当代海老蔵だけ。P201。「猿之助はこの後(たぬき注:1973年の当代菊五郎の襲名後)、自分の仲間以外の襲名披露には出なくなる」ってあるけどそんな訳がなく、81年の現歌六・現時蔵・当代又五郎の歌昇襲名@歌舞伎座は当時の"仲間"と言えなくもないけれど、当代藤十郎の鴈治郎襲名@91年12月南座、当代松緑の襲名@02年10月御園座の口上に列座してるよ。P202 の「劇評家に何が起こったか」は「劇評家に何が起ったか」。P205に「いったい、六十、七十になって、女形が若い女を演じるなどということがあったのか」とあるけれど、当然ながらいっぱいあった。還暦過ぎても娘役なんて当たり前で、七代目宗十郎とか先代梅玉あたりは七十過ぎても若い女の役をやってたし。次のP210、「バレエのジャン=ルイ・バロー」には思わず吹き出してしまった。フランス映画か西洋演劇のどっちかに関心があるなら、絶対こんな間違いしない。小谷野氏は本人の言う事を当てにしないそうだけど、彼の自伝のタイトルを信用するなら「私は演劇人である Je suis un homme de théâtre」ですよー。
ぽわん:タイトルすら当てにしないということになると、カオスだねえ…。
たぬき:あと、P211 「吉祥寺に前進座劇場が開幕し」とあるけど、「開場し」だよね…
 P214には「(金鶏が)日本では演出と報道されたが、のち再演された際のものを見ると、「衣裳・舞台装置」で、猿之助がオペラの「演出」までするわけはないから、これが正しいだろう」とあるけれど、現猿翁はちゃんと演出してるよー。たとえ楽譜が読めなくても、「オペラの演出」ってやつにはいろんな方向からのアプローチがあるからね。
 もっと可笑しいことがあってね。小谷野氏の文章は「しかし、音楽的にはさほどではないオペラが、猿之助というより、猿之助と歌舞伎衣裳方の力で作ったものが、視覚的に優れた効果を挙げていたことは確かだ」と続くんだけど、この「金鶏」、衣裳は毛利臣男(+桜井久美)なんだけど、毛利臣男も桜井久美もそれまで歌舞伎の衣裳を担当したことはなくて、逆に「金鶏」をきっかけにスーパー歌舞伎の衣裳を担当していく訳だから、小谷野氏が言うように「歌舞伎衣裳方の力」で作られた訳ではないんだよね。とほほ…
 次もちょっとアレなやつ。P215に「「良弁杉由来」をやっているが、これは額田六福(一八九〇ー一九四八)作の、本来つまらない芝居」とあるけれど、これはCiNiiか何かで「良弁杉由来」を入れて検索かけたんじゃない限りやらかさない、超初歩的ミス(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB03835745/かな?)。「良弁杉由来」はもともと文楽の新作で、作曲が三味線弾きの二代目豊沢団平、作詞は某文士が書いた長々した奴を団平の奥さん・加古千賀が補綴したもの。額田六福の手は入ってないと思うよ、だって彼は明治20年の初演時には生まれてないんだから!!! 「2013年5月17日追記:小谷野氏ご当人の発言として「「良弁杉由来」を額田六福作と勘違いしたのは、サイニイで検索したからではなくて、まさにそこに出ている国立劇場公演を観に行って、「冬木心中」の方の作者である「額田六福」と「良弁杉」が頭の中で結びついてしまったからである。」とのコメントを頂戴しました。」
 P219の「新派の水谷良恵」は当然ながら水谷良重、P226の「九六年(中略)十月、国立劇場で南北の「四天王楓江戸粧」を復活通し上演したのが、猿之助最後の復活狂言になった」とあるけれどこれも間違いで、2003年の歌舞伎座「四谷怪談忠臣蔵」と、同年に国立劇場でやった「競伊勢物語」も復活通し狂言。前者は「双絵草紙忠臣蔵」の圧縮版だけどね。
 さてさて、さっき例に挙げた著者自筆の正誤表http://homepage2.nifty.com/akoyano/teisei.html#ennosuke、現在のところ11項目だけど、われわれのエントリーの後で、増えるのかな? それともそのままかな?
ぽわん:でもさあ、素朴な疑問なんだけど、どうしてこんなに間違えるのに、こういうデータ系(?)の本を書くのかなあ? そこを重視していないのだとしたら、もっと違う書き方をすればいいのに。 
たぬき:本人とか関係者には基本的に取材しないで作ったらしいからね。そのせいで、上演データとか、先代猿翁の追悼本『猿翁』とか、現猿翁が前名時代に書いた『猿之助修羅舞台』の引き写し率がものすごく高い。この本より『猿翁』や『猿之助修羅舞台』を読んだほうがずっと面白いよ。だんだんこの本の存在意義が分からなくなってきた…
ぽわん:この本って、一見、事実をもとにしているように見せかけて、事実にこだわらない読み物なのかな?? としたら、それがわかるような本の出し方をしてほしいよね、昔流行った「超訳」じゃないけど。…結局、我々(というより、たぬきさん)は、彼の正誤表に多大な貢献をする、ことになるのかなあ??
posted by powantanuki at 21:06 | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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